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「兼続様、失礼致します」


そう言って入ってきた女の手元には新しい酒があり、女はそれを傾けて
俺と幸村の杯に注ぎ込む。
そして静かな足取りで兼続の傍まで歩く女を俺は酒を飲みながら横目で見ていた。
兼続と女が二言三言交わした言葉は主人と家人の会話には聞こえなくて
女が下がった後、俺は揶揄を込めて問うた。


「なんだ。兼続とあろう者が女か」
「ん?ああ―――そういえば三成にはまだ言っていなかったな」
「?何がだ」


「あれは私の妻だ」









 一度きりの言の葉  [ 前編 ]










「兼続の奴……っ」


三成は夕べの事を思い出しながら早足で町中を歩いていた。
扇を手のひらへ打ち付けている様子は見るからに苛立ちを表していて、三成はどこへ向かうでもなく
ただただ足を動かしていた。


「謙信を見習って独り身でいるのだと思っていたが」


何が妻だ。
夕べ、そう語った兼続の表情はいつもの笑顔にはにかみを加えたもので、その表情はまるで
幸村のようだった。……そう、幸村が妻の話をしていた時のような。
三成は幸村の反応を思い起こしてまた舌打ちをした。
幸村は知っていた。
なぜなら兼続の妻は幸村の妻の友人だったから。
その繋がりで知っていたのだろう。
三成はなぜか面白くなかった。自分一人だけ知らなかったという事実に腹が立っていたのだ。
だが、ふと三成は足を止める。


「…俺も言わんだろうがな」


きっと自分もわざわざあの二人に伝えることはしないだろう。
そう考えると苛立ちもどこかへ消えてしまった。
…消えてしまったはずなのに、まだ胃の腑のあたりがもやもやしていて、それはなぜだと
三成は考え始めたのだが――――答えは簡単に見つかった。


「…羨ましいのか」


好きな者同士で夫婦になったという事が。
好きな女と。
俺には――――無理だ。
言えない。語れない。表に出してはいけない――――なぜなら


「佐吉っ」
「!姉上……」
「何をしているの?こんな所で」


背中をぽんと叩いて来たのは姉の燈花で。
見たところ燈花は買い物の途中のようで、その事は分かっていたが三成は問うしかなかった。
考えていたことを思考回路から追い払うには。


「別に…俺だって町ぐらい歩きますよ。姉上こそどうしたのです」
「買い物よ買い物」


笑ってそう言う燈花は、これから登城する事を分かっているのか、分かれ道まで一緒に歩きましょうと
手を差しだしてきた。
姉上という人は、昔からこうであった。


「……なんですかこの手は」
「ほぉら、早く!良いじゃないの姉弟なんだから」
「いくつになったんです、姉上」
「佐吉、はやく」


人の話を聞いているのか聞いていないのか、燈花は少し前を歩いて三成を急かす。
三成はため息をついて彼女の手をとった。
こんな所、兼続達には見せられないと思いつつも、この小さな手が愛おしかった。
そして、ふと兼続の言葉を思い出してしまった。


「ねぇ佐吉」
「いい加減、幼名で呼ぶのは止めてもらえますか」
「佐吉は佐吉でしょう?ねぇ、それより今日は帰ってくるの?」


いつまでも子供扱いされているいようで三成は不快だったが燈花は構わないという様子で
今日の予定を聞いてきた。


「帰って来ない日は言ってほしいな~…いつも待ってるのだけど?」
「言ってほしいと言われてもな。そんな暇ありませんよ」
「文に一行だけ書く時間ぐらいあるでしょう?」
「…………」
「お姉ちゃん、いつも寂しいのよ」


寂しいと、あなたは簡単に言うけれど。
あなたのそれは所詮姉としての言葉でしかないわけで。
それでも。嬉しいと感じるのは……なぜだ。
そんな思いを口にする事はなく、三成は今日は帰ろう、と息を一つついた。


「今日は…帰ります」
「そう?」


急に左手の温度が下がったのが分かった。
なんだ、と思っているとそれは燈花が手を離したからで。
気が付けば分かれ道に達していたのだった。
なごり惜しむ自分を気付かれたくなくて、三成はさっと燈花に背を向けて歩き始めた。
そんな三成に燈花から声がかかる。


「佐吉!」
「まだ何か」
「家で待ってるわね」
「………どうぞ」


この時姉が…燈花がどんな顔をしているのかは背を向けていた三成には分からなかった。
三成の脳裏には兼続の言葉が蘇る。


 「あとは三成だけだな」


姉と夫婦になれた奴なんて、聞いたことがない。











「おかえりなさい佐吉」
「………た、ただいま…」


久しぶりに帰った三成は、何も変わっていない実家に懐かしさを覚えた。
燈花に嬉しそうに出迎えられた三成は、照れを隠しながらも部屋へと上がる。
帰ってくると言っておいた割には夕餉の支度が調っておらず、それは
客人ではなく家族なんだという温かさと、主人ではなく弟なのだという冷たさが三成の
心中を取り巻いた。
それでもすぐに用意された夕餉は嫌いな物も出はしたが、三成の好きな物がそれよりも多く、
故に、嫌いな物は食べられなかったと言い訳すれば通用するほどの量であった。
それは燈花の気遣いなのか、それともあえて嫌いな物も入れてくるちょっとした嫌がらせなのか
三成には判断しかねた。
そんな三成に燈花は穏やかに問いかける。


「ちゃんと食事はとってるの?」
「……おねね様が作ってくださる」
「そう?なら良いわ」


燈花は小さく笑みを作り、元気でやってるのねと呟いた。
それには何も返さず、三成は燈花の料理に箸をつける。
燈花も三成に習って箸を動かすが、食べるよりも三成の様子が気になるようで
じっと見つめているから三成としては食べづらい。
ついには感想を求められ……困った。


「…美味しい?」
「……不味くはない」
「どれが特に美味しいとか、具体的に言ってくれると嬉しいなー」
「………全てだ」


懐かしい、毎日食べていた味だった。
幼い頃は手伝ったりもしたのだが、手伝うといつもと味が変わってしまった感じがして
いつの間にか手伝うのを止めていた。
それでも味付けには関係のない手伝いはしていて……だがそれももう最近は行われていない事だった。

全て、と言うと燈花は笑いながら「いつも今日みたいに」と続けた。


「今日みたいに、三成はまだかなーって待ってるんだから」
「……待たずに食べればいい」
「待っていたいのよ。一人で食べるのは…寂しいから」
「………」


寂しいと、あなたは何度も簡単に口にする。
俺が家に帰らない理由をあなたは知らないから。いや、知られてはならないのだ。
少し空気が重くなってしまい、それを感じ取ったのか燈花は「そういえば」と切り出してきた。


「ねね様のご飯とどっちが美味しい?」
「はぁ?…なんて恐れ多いことを」
「良いでしょう?私だけしか聞いていないんだから」
「良くないですよ」


ずるいわ、と膨れている燈花に「どこが狡いんですか」とため息をつきながら酒をあおる。
すると燈花も自分の杯に酒を注ぎ込み、一気にそれを飲み干した。
ほう、と息を吐く姿はどこか扇情的で三成は思わず顔を逸らした。


「佐吉がいるから今日は飲むわね」
「…どういう基準なんです。潰れても放っておきますよ」
「佐吉~そんな事じゃお嫁さん貰えないわよー」


早速酔いが回ってきている燈花は、酒にはあまり強くない。
そんな燈花に三成はやれやれと肩を落としながらも会話に付き合う。
その会話の合間にも、得手ではないのに酒を更に口へ運びながら頭を揺らしている燈花。


「姉上が先ですよ」
「私は佐吉がお嫁さんを貰うまで嫁がないわよ」
「俺は姉上が祝言をあげるまでは一人でいるつもりです」
「じゃあ私たちずーっと一緒ねぇ~……」
「………姉上は嫌か?」


風も、月光も、何もなかった。
閉じられた襖と揺らめく灯火。三成の声を届かせるには十分な静けさだった。
それでも燈花は嫌だとも嫌ではないとも言わない。
変わりに持っていた杯が中身と一緒に床へと落ちた。
それは驚いたからでもなんでもなくて―――――


「姉――――……まったく」


ついに潰れてしまった姉に呆れながらもう一杯酒をあおる。
酔いつぶれた燈花は床に身を任せたまま身じろぎ一つせず、ただ穏やかに寝息をたてているだけだった。
三成は立ち上がって燈花の傍まで寄り、軽々とその身を抱え上げた。
潰れても放っておく。
そんな事は三成に出来るはずもなかった。


寝室まで運び終えた三成は、甲斐甲斐しく布団まで敷き、その上に燈花を横たえた。
早くこの場を去らねば。
頭の中でそう警告している。
たがすぐにその警告音が鳴らなくなったのは……立ち去ろうとする三成の着物を燈花が握っていたためで。
警告が収まったわけではない。
警告音が三成を止められなかっただけだった。
三成は燈花を起こさないように、それでも求めるように唇を重ねた。
燈花の額や頬に三成の細い髪が当たるが起きる気配はない。
起きるどころか着物を握った手も離されることはなかった。


「……いったい何度こうしているのか……あなたは知らないでしょう?」


だから……帰りたくなかったんだ。
三成はそう心の中で自嘲しながら、燈花の隣に横になり瞼を閉じた。
手を離されないことを言い訳に、こうしてあなたの傍で眠る事ができる……

燈花が、隣の三成の存在に気付いたのは朝になってからだった。


「……もう朝」


まだぼうっとする頭を軽く振るとすこしふらふらし、昨日お酒を結構飲んだ事を思い出した。
そしてゆっくりと布団から出ようとして隣に三成が寝ている事にようやく気付いた。
燈花は声を発するわけでもなく、しばらく目をまばたかせ、昨日の事を必死で思い出そうと努力する。
そういえば……戻ろうとする三成を引き止めたような……?
燈花は思わず頭を押さえた。
酔いとは恐ろしい。


「………まだ酔ってるのよ。三成…」


隣で穏やかな寝顔を見せている弟の名前を呼び、燈花は自分の髪がつかないように耳にかけながら
顔を近づけた。
一瞬、寸前で迷いを見せたが、燈花は三成の唇に自分のを軽く重ねた。
顔を離した燈花は指先で自分の唇に触れ、息をつきながら首を振る。
そしてそっと立ち上がり、朝餉の準備をするために寝室を後にした。

身支度を済ませた燈花は、朝餉の準備のため台所に立っていたのだが、後ろに人の気配を感じて振り返った。
そこには今起きたのであろう三成が立っていて、低い声で「おはようございます」と挨拶した。


「おはよう、佐吉」
「水を貰いたい」
「はいはい。…どうぞ」


三成は水を受け取って口に含み、燈花はそんな弟を料理をしながら少しからかった。
三成は水を飲むのをやめ、そんな燈花の後ろ姿に視線を移す。


「早いのね。昔は朝、苦手だったのに」
「戦場にいると嫌でもこうなりますよ」
「そうなの?」
「少しの気配の違いで起きるようになります」
「………そう」


燈花は背を向けたままだった。
三成は燈花の反応を探るように少し目を細め、止まっている料理をする手を見つめた。
そして呼びかける。


「姉上」
「…なぁに、佐吉」
「…先ほどのように三成と……呼んでくだされば良い」
「!」


燈花が両手を口元へ持って行くのが分かる。
振り向くのが怖いのだろうか、まだ背を向けたまま何も喋らない。いや…声が出ないだけか。
三成は三成ではやる気持ちを抑え込んで燈花の反応を待つ。
が、それも長くは持たなかった。
三成は燈花との距離を詰め、後ろ髪にそっと触れる。


「……姉上、抱きしめたいのだが如何か」
「だ、め…です」
「駄目、とは」
「………」
「姉上」
「佐きっ……三成っ」


燈花が手で顔を覆いながら三成の名を呼ぶ。
それを聞き届けた三成は後ろから抱きしめ、耳元で言ってはならない言葉を囁いた。


「好きです」
「っ……!」
「ずっと……ずっと」
「もうそれ以上…言ってはいけないわ…」


「顔を」そう言って三成は燈花の手を顔から離させる。
その手は涙に濡れていて、更に流れる涙は三成の腕にも流れ落ちた。
燈花は頬を涙で濡らしながら、後方にいる三成の方へ顔を上げる。
そしてすぐに戻される顔に三成は手を添え、上半身をこちらに向けさせる。


「言ってはいけない事だ。だから一度だけで良い…あなたの気持ちを聞きたい」
「――――好きじゃないとあんな事っ……しませんっ」



三成は燈花の唇を塞ぎ、燈花は身体を三成の方へむけた。
向き合う形になり、一度少しだけ顔を話すと三成は更に問う。


「最初で最後なんです。ちゃんと…聞かせてください」
「……三成が好きっ…!」
燈花」


二人はもう一度唇を重ねた。
深く深く……それは二人が隠し続けてきた愛の深さ。
重なる重みは、これから隠し通さなければいけない愛の重さ。






それからの日々は、特に何が変わったわけでもなかった。
隠していくのは今までと同じだから。
ただ、三成は家に帰られる日は帰るようになり、帰られぬ日は文を書くようになった。
そして燈花は文が来ぬ日は三成の帰りを心待ちにし、文が来た日は落胆しつつも
その文を大切に文箱へ片づけるようになった。
この日の文はこうだった。




  『  友を二人招く。馳走の用意を  三成  』







   後編→



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初の三成夢です(今頃)
内容、重っ……姉弟恋愛、苦手な方はすみません;
1話にするつもりが前編後編に……
お付き合い頂けると嬉しいです;

  ++ 2006/7/23 美空 ++