に幸村殿。今日は何じゃ、どうかしたのかの?」


殿の肩ごしに見えた義父上は予想に反して元気で、私はほっとして良いのか呆れていいのか
一瞬分からなくなったのだが、殿の一言で納得した。


「どうかした、ではないですよ父上!」


そうか。怒ればいいのか。
怒っても良いのか。こういう時は。




   階段の途中 [7.5]





とは言え、機会を完全に逃してしまった私は今、義父上に促されて客室で待っていた。
お茶を煎れに行くと、残された私達…いや、殿は苛立っており
それは眉間に寄せられた皺によって明確に伝えられていた。
なぜ、と考えているのかもしれない。
私も……それは思う。だが


「病気ではなくて良かったですね」


本当に、良かった。
殿の悲しむ顔を見なくてすんだ。…今は今で鬼気迫るものがあるが。
だがそれも、顔を上げた殿を見ると大分薄れたようで、きつく結ばれていた拳が緩んでいるのでほっとした。
張りつめていたものがなくなると、周りを見る余裕もできたのか、義父上がなかなか来ないなとこぼした私の言葉に
様子を見てくると立ち上がって出て行った。
すると入れ変わるようにして足音が聞こえ、同時に義父上の苦笑いを含んだ声が。


「いやぁ、お待たせして申し訳ありませんな。幸村殿」
「義父上」
「心配をかけ申した。申し訳ない」
「いいえ。心中…お察しします」


そう伝えると、微笑を浮かべたまま義父上は黙られた。
義父のこのような所は…初めて見るかもしれない。
よく通る声で名を呼ばれたり、常に笑っていたり。
そんな義父がぽつりと漏らした言葉には、後悔の色が含まれており、自嘲を添えていた。


「わしは…あれに何かしてやれたかのう。居なくなった今、そんな事を思うておる始末で」
「義父上…」
「わしは礼も言わなんだ。最後も看取らず、そして何も…一言も伝えなかった」


感謝の気持ちも、心配の念も、愛情でさえ。
言葉という伝える術があるというのに、伝える事はなかったと義父は呟いた。
そして『言わなくても分かる』などと高をくくっていたのじゃろうな、と。


「幸村殿。いつでも伝えられるなどと、思うてはなりませぬぞ」


人の生とはこんなにも儚い。
それはそう、己のものであったとしても。

いつでも結構です…に言ってやってはもらえませぬか

以前そう言った義父上の言葉が頭に蘇り、ようやく言わんとする意味が分かった気がした。
そしてこの時、義父上はまだ命がこんなにも早く、突然につきてしまうものであることを知らないでいたのだ。
いや…知らない訳がなかったのだが、きっと私も…今日、この日が来るまで『知らなかった』のだ。
戦場で生死の狭間を駆けている私達が、だ。

そうして伝えられなかった言葉は心の底に残る。
残ったまま、もう伝える相手の居ない事で行き場を失った言葉は後悔へと変わりゆくのだろう。
そうして義父は私に言う。たとえ、以前とは矛盾した言葉であっても。


「幸村殿。わしはもうをそなたに任せておけば安心じゃと。それこそ高を括っております」
「ご期待に添えられると良いのですが」
「はっはっは」


義父上がなぜこのような事を仰ったのかは、このあとすぐに分かる事となった。
殿がお茶を手に戻ってきたので、私達の会話は一度中断され、一息つくとあとは義父上の言葉を待つ。
この静けさが、これから語られる事を表すかのように、居心地が悪い空気でもあった。


「二人には心配をかけた。それはよう分かっておる」
「いえ。本当に、お元気そうでなによりです」
「うむ。なに、わしもそろそろ隠居しようと思うてな」


殿が驚きの声をあげる。
私はただ何と言って良いのか分からずに、義父を凝視したまま言葉を紡ごうとした。
やっとの思いででた言葉は、まだ早いのではないのかと。
そう、義父を引き止める言葉であった。


「義父上はまだまだお若くいらっしゃいますし…」


殿も驚きから我に返ったようで、私の言葉に続き、もう一度考えてはと説得し始めた。
あまりにも急すぎて、跡目はどうするのか、引き継ぎは…など言いたい事は沢山あったが
なにより私はまだ義父上に軍を去ってはほしくなかった。
それでも…それでも。


「さすがに、堪えてのう」
「っ……」
。そなたも無事嫁いでくれた。わしも、もう守るものは我が身一つ」
「しかしっ」
「もう余生をのんびりと過ごしても罰はあたるまいて」


そう言われてしまえば、返す言葉は全てのど元で詰まってしまい、もう何も言えなかった。
それは殿も同じようで、見れば今にも涙を流しそうで、それを我慢するかのように眉をひそめていた
彼女の背に手を添えて義父上に暇の挨拶をした。
「また来ます」と。それまでにどうか考えを変えて頂けたらと。そう思いを込めて。


「まさか…義父上が隠居を考えておられるなんて」


の家からの帰路は、これまでになく静かなものであったが
今日は殿が何を言いたそうなのかがよく分かっていた。
義父上の隠居の話。
つい静かだと考えてしまう、先ほどの言葉。
殿も、実父の事…特にこのような重要な話をどう切り出して良いのか迷っているようで、
そしてそれは私にも同じ事であった。
同じではあったが、私からの方が話を切り出しやすいだろうと思い、独り言のような声色で義父の話に触れた。


「はい。…その、もう頭が混乱してしまって」
「私としては…考え直して頂きたいのだが……そう無理も言えまい」


無理は言えないが…やはり考え直して頂きたいというのが本音だ。
だが義父上の言う事も分からなくもない……
やはりすぐには解決案など出るはずがなく、小さく首をふりながら隣を歩く殿に視線をやると
ふっと肩でため息をついたのが見えた。
をそなたに任せておけば安心じゃ』
義父上はそう言って下さったばかりだというのに、私は上手い慰めの言葉もかけることができずに
彼女にこのような顔ばかりさせているではないか。
なんと…自分の不甲斐ない事か。
何か他の話題でも振ろうかと考えもしたが、すぐには良い話題が思いつかず
もしこれが佐助であったなら、どのように答えたのだろうか。
私はそこまで考えて再度首を振り、どうしたものかと辺りに目をやると、とある看板が見えて。
つい、口が滑っていた。


「あの…殿。団子はお好きですか」
「幸村様?」
「嫌いでなければ…どうです?あの店、美味しいですよ」


急にどうしたのかと問わんばかりの大きな目で私を見ている殿。
自分でも何がしたいのかよく分かっていないのだが、目の前に知った店の看板が見えたので
つい指さして誘ってしまったのだ。
今更なんでもないと言えるわけもなく、私は店の評判を口にしてその場を取り繕うと
殿は何に納得したのか、小さく頷きながら肯定の言葉を述べてくれた。


「なるほど…頂きます!」
「では、あちらへ……」


突然妙な事を言い出したにも関わらず、二つ返事でくれた殿の力強い返答に少し救われた。
店の中でゆっくり…と思っていたのだが、ここからでも満席の様子が見て取れたので
今日は包んでもらう事にしようと、殿にはこの場で待つようお願いした。
私はその足で最後尾へと並ぶ。
……団子などと、もう少し上手い慰めはなかったのだろうか。
自分の会話力のなさにため息を付きながら、どうせなら父たちの分も買っていこうと数を数え始めた。


しばらくぼうっと立って並んでいたのだが、ふと何気なく殿の様子を窺い見るとそこには
見覚えのある姿が一緒に並んでいて。


「佐助……」


佐助は殿の行動を何やら手で制しているようにも見え、そちらが気になりながらも
まだ私の前には数人並んでおり、すぐに駆けつけられない状態に幸村はもどかしさを感じた。
なぜ佐助がここに居るのだろうか。
いや、それはやはり彼の言う趣味のせいであろう。
では、たまたま殿を見つけて話しかけているのであろうか。
本当に…たまたま?
考えても考えても答えは出てこないし、待っている順番も早くはならない。
それでも一歩一歩と前へ進み、自分の番になったかと思いきや早口に注文をまくし立て、包装されるのを待つまでとなった。
どうしても二人の様子が気になって、今一度視線を向けると佐助のそれと合った。
すると殿もこちらを向いたので何やら私の事でも話しているのだろうか。


「お客さん、お釣りだよ」
「――ああ。すまない」
「まいどあり」


店主の声で一度二人から視線を外し、彼からお釣りと包みを受け取るともうそこには佐助の姿はなく
殿が一人遠くを探すように立っていた。
そんな彼女に「お待たせしました」と声をかけ、先ほどまでそこに居たはずの佐助の気配を探っていたのだが
名前を呼ばれて我にかえる。


「幸村様?」
「あの…佐助が、何か…?」
「いえ?偶然お会いして世間話を」


そうですか…そう相づちを打ったものの、世間話をしていたと語った殿の表情はとてもそうには見えず
自分の中に小さなしこりができてしまったのが分かった。
だけど自分でそれには触れないように、殿に帰りを促していた自分は何が怖いのだろうか。
恐らくはこの……


「混んで、きましたね」
「そうですね。この時間帯ですから」
「はぐれないようにしましょう。失礼……します」


もっとすんなりと言えば良かったものの、語尾になるにつれ蚊の鳴く声になり、彼女にどこまで聞こえているやら
分かったものではない。
日々、鍛錬を積んでいるお陰で槍を握る握力というのは相当ついているであろう。
だが、それもこの時には不要な物であり、また、どの力加減だと痛くないのだろうかと模索しながら手に力を込める自分を
相手に悟られまいとしている様に、柄にもなく格好をつけているのかと自分が可笑しかった。
そして混み合っているからと、理由をつけて彼女の手を握った自分が。
嘘だ。自分でも分かっている。
ただ、頭の中でよぎる先ほどの光景に、この人は渡したくないと自己主張しているだけなのだ。
そう、私は怖い。
この嫉妬と呼ばれるのであろう、自分の中に巣くう黒いものが。








遠目にくのいちの姿を見つけると、傍には探していた人物が居るのも映り、思わず足を止めた。
何やら話している風であり、まったくこの二人は仲が良いのか分からなくなるなと呟きながら見ていると、
すっと くのいちが離れ、佐助がため息をついて背を向けた。
そして私は足を進め始めていた。…気を殺して。
頭の中では多くの疑問が飛び交っているのだが、飛び交いすぎてむしろ何も考えられない状態とも言えた。
そうして私達の距離は縮まってゆく。
一瞬空気が変化し、佐助の武器が私に向けてから、膝をついて頭を下げるまでの流れも一瞬の事であった。


「――ご無礼を致しました」


何故、気を消していたのであろうかと困惑気味な様子だが、それを声には出さず
私の言葉を待っているように見えた。


「――佐助、鍛錬に付き合ってくれないか」


眉を少し寄せ、顔を上げた佐助に、手にしていた槍を投げ渡した。
思わず、と表現するのが的確である動作でそれを手にした佐助だが、了解の言葉以外何も言わなかった。
何も、聞いてこなかった。
そうして始まった手合わせは、何度も何度も打ち合い、互いに息を切らして。
力と強度の差から、己の武器が折れたのを機に佐助は再び膝をついて、降参の意を伝えてきた。


「参りました」
「……」
「…殿は、誰と戦っておられましたか」


不意にかけられた問いに、今度は私が眉を寄せる番だった。
…いや、違う。
私は、自分の心の内に斬り込まれたような感覚に陥ったのだ。
更に佐助は続ける。


「私、でしょうか。それとも…恐れながら」


殿の影、でしょうか。
私は、その問いに続く言葉が出てこなかった。
自分の影。
視界に折れた十文字槍が映りこんだ。
私は…自分と闘いたかったのか?
十文字槍を扱う時の佐助は私の影になると分かっていて……分かっていたから?


「殿。くのいちの言う戯れ言は流してください」
「戯れ言、か」
「御意」
「そうか…」


そうだ。くのいちがよく言う戯れ言ではないか。
それを真に受けて佐助へのこの仕打ち。
私は…何をしているのだ。
佐助がどのような人物か、己がよく知っているではないか。
……そうだ。私は己と闘いたかったのであろう。
そう、無理につけた結論ではあったが、それでも少し気が楽になった。
その場に腰を降ろし肩の力を抜くと、何だか急に可笑しさがこみ上げてきて。
私にしては、本当に珍しい軽口だった。


「こんなに自信が持てない事は初めてだ」


佐助が顔を上げ私を見る。
私はそんな彼に笑みを作りながら更に続けた。


「佐助、殿を好きにはならないでほしい」

「お前が相手だと、絶対に勝てるという自信がないからな」


彼女の事となると、自信というものがまるでなくなる。
熱くなったり、どぎまぎしたり。
困惑、緊張、歓喜…いろいろな感情が彼女によって引き出され、振り回されている自分に比べ、佐助はどうだ。
好きにならないでくれと言ったのは、本当に軽口であった。
人の想いを打ち消すなどと、私にそのような権利は持ち得ない。
そう…開き直ったからこそ、ここまで気を楽に口に出す事ができている。


「弱気ですね、殿。もう一度言い直してみてはどうです」
「ははは、そうだな。『彼女を、好きにならないでくれ』」
「まだ弱いですね。殿、もう一度はっきりとご命令ください」
「…佐助」
「どうぞ、ご命令を…お願いします」


私のそれは、軽口であることぐらい分かっていたはずであろうに。
その時の佐助は、たとえ軽口でも良いからと…命令を欲しがっているように見えた。
懇願に似たその申し出に、私の口元から笑みは消え、彼の―――


「佐助。殿を、好きになるな」


欲しがっていた言葉を再度口にしたのだ。
そして、後から私は思う。
これは、私が心の奥の方にしまっておこうとした本音であったと。
そうだ。それは怖くて『冗談』というものに包んでいなければ言えなかった言葉だった。


「心得ました」


佐助は、いつもの笑みを浮かべながらそう言い、仰々しく胸に手をあててみせた。
それはまるで、私の軽口に乗っての言葉のやり取りだと言いたいように。

 そもそも、殿は優しすぎますよ。ですから、私は少々心配です。
 私は別にそのような事は――
 あります。のう、くのいち。

いつのまにか、ひょこりと現れたくのいちと佐助がクスクスと笑い合って私をからかうので
もう戻れと、手を振る事になった。
律儀に、短い挨拶と共に去った佐助の笑みを思い浮かべながら私は息を吐き出す。
佐助には反物屋を探してもらった。
文の内容に疑問を抱き、様子を見に行ってもらった事もあった。
彼は、彼なりに街でも彼女を護ってくれていた。
そう、護ってくれていたのだ。
私は体を後ろへ倒し、空を仰ぎ見るが、陽の光が眩しくて…腕を目の上に乗せた。
胸が…痛い。


「すまない…佐助…」


すまない。




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感謝と謝罪と。
両方受けた佐助sideもいつか書こうと思っています。

■あてにならない次回予告
好きな人はいるのかと、話の流れで互いに聞き合う事となった二人。
幸村は首を振り、主人公は頷く、その二人の心理は。
好きという想いが募るほど、悲しみが見え隠れし痛くなる。
二人は互いの誤解を解く事ができるのか。
踏ん張れ ここが、正念場。

かなぁ。


++ 2008/3/25 +++