「父上」

「どうした?煉」

「母上が今日は何の日か覚えておられるか、と」

「今日………ん?ああ、そうか。め、拗ねておるのか?」

「…平たく言えばそうです」








政宗は息子が語る妻の様子に呆れたように息をつき

足に力を入れて立ち上がった。

正座している煉が政宗を見上げると政宗は何だか懐かしそうに庭を眺めている。

今日は何かあるのですか?と控えめに問うと政宗が半身だけ振り返り

一言、少し照れくさそうな様子で言った。








とな、夫婦になった日だ」















   奥州のめおと。













「ちょっと政宗!出過ぎてるわよ!!」

か」

「…なーんてね。へへっ、行っちゃいますか!」

「そうこなくてはな!よし、行くぞっ」









女ながら馬を巧みに操るは政宗の隣に愛馬をつけ

政宗に更なる進軍を促した。それを受けた政宗はニヤリと笑い、

馬の腹を蹴って飛び出した。それに続いてもスピードを上げる。

進軍…とは名ばかりの、二人による単騎がけ状態であることを二人は少しも

恐れてはいなかった。

子供だとか、女だとか。そんな事を理由にした他人からの諫めの言葉などは

大きな自信によって受け入れられる事はなく。

それが、若さ故だという事も分からないまま自由奔放にここまできた二人であった。














「あなた方は!何度同じ事を言わせるおつもりですか!?」

「ごめんなさい」

「ふんっ、ちんたらと行軍などしてられるか!!」

「政宗様!大将がそのようでは勝てる戦も勝てなくなりますぞ!」







もっと大将としての自覚をお持ちください。


そう言って肩を落とした小十郎はわざとらしくため息をついた。

小十郎の説教に、いつものように口だけで謝ると相変わらず聞く耳もたずな政宗。

小十郎はもはや怒りを通り過ごし、呆れてしまった。

何度同じ事を言ってもまた繰り返す。なまじ戦に強いから言う事も聞かない。

かといって、放っておくわけにもいかなかった。家臣として、言わなければならない時もある。








「いいですか?負けてからでは…何かを無くしてからでは遅いのですよ?お二人の―――」

「だーっ!もう良い!説教はなしじゃ!!」

「次、気をつけますから!」

「政宗様!?殿!?」







政宗が焦れて席を立つと同時にの手を取った。

は引っ張られるようにして、毎度のように口にしてきた言葉を残して立ち上がった。

小十郎は止める事も出来ず、手を繋いだまま庭に飛び降りた二人の背中を見ている事しかできなかった。

止めようと上げた片腕が虚しく空を掴み、行き場をなくして畳の上に落ちた。





















「勝ったから良いではないか。なあ?」

「そうよねー」








あのまま城を走り出てきて城下へと来た二人は何をするでもなしに

ただぶらぶらと歩き回っていた。

買い物をしている人。呼び込みをしている人。親子連れや…恋仲の男女。

町ではいろんな人が二人の隣を通り過ぎていく。

政宗は首を半分後ろへ捻り、通り過ぎていった仲睦まじい男女の背中を見送った。

連れ添っているその姿は夫婦だと推察され、その夫婦はまるで自分たちとは違う世界に居るようで

ずっと見ていたつもりだったが、いつの間にか人混みに消えてしまっていた。

結婚…か。

政宗は首を元に戻し、繋がれている二人の手をさりげなく見た。

わしの相手はきっと―――――









「…なのであろうな」

「え?何が?」

「何でもない!」









何よそれー!と頬を膨らませたは城を出てからも繋いだ手を

解こうとはしない。気にしている様子もないので政宗は胸をなで下ろした。


きっとそうであろう。…いや、でなくては駄目だ。

そう…でなければ。


そんな想いを抱きながらの横顔を見ていると急に振り返ってきた。

必然と目が合い、政宗は逸らすタイミングを逃してしまい吸い込まれるように

の瞳を黙視した。今の時点では、の方がやや背が高い。









「…政宗じゃなきゃ嫌だな……」

「…は?」








真顔で、突然そう告げてきたに思わず気の抜けた返事をしてしまった。

「何が」と聞き返そうにも、この言葉が指す意味など幾つもあるはずがない。

立ち止まっている二人を、町の人たちは器用に避けて通っていく。

政宗の言葉も、流れに乗って口から発せられてしまった。












「わしの嫁に来い」











言われたよりも、言った当人が自分の言葉に驚いてしまっていた。

丁度通り過ぎた町の人が何人か振り返ったのが背中に刺さる視線で分かり

恥ずかしさもこみあげてきたが、それ以上に「しまった」という気持ちがうわまわっていた。

でも政宗のその気持ちは言ってしまった言葉に対してではなく。

政宗は頭を抱えてその場に座り込んだ。









「だーっ!こんな所で言うはずではなかった!!」








やってしまった、というように髪をぐしゃぐしゃとかき回す政宗。

特にどんな場所で、というのを決めていたわけでもないのだが、少なくとも

このような町中…公衆の面前で口任せに言うつもりはなかったのだ。

しゃがみ込んだ政宗の前にも同じように身をかがめ、乱れた髪を手ぐしで

整え始める。そんな彼女の行動に政宗は顔をあげ、微笑んでいるの顔を目にした。

相変わらず二人の両側を町の人の足が行き来し、止まる様子はない。

子供のじゃれ合いに耳を貸す人などいないのだ。












「政宗じゃなきゃ、嫌だよ」










は再び同じ言葉を口にした。

やはりこの言葉はそういう意味で。

は立ち上がりながら更に続けた。

政宗も続いて立ち上がると、今度はが手を取って城への道を

歩き出した。











「私たちがもう少し大きくなったらね」

「そ、そうだな!」








結婚する時はせめてよりも大きくありたい。

身長もそうだが…懐も。

幼い頃の、口だけの心許ない約束ではあったが、二人はこの日の約束を

忘れはしなかった。
































「――――政宗危ないっ!!」

「!!――――っ!?」










あの約束をした日からどの位の年月がたったのだろうか。

今では政宗もぐんと背が伸び、すでにとは頭一つ分違っていた。

あの頃よりも世間に通じ、知識も増え、武芸も益々上達した。

そんな中でも相変わらずだったのが突出癖であった。

今まで何も起こらなかったのが不思議なのだ。

たった今、目の前で大切な人が崩れていくのを見て痛感した。

後悔したとてもう遅い。

昔、小十郎に言われた言葉が頭の中で反響する中、なんとか平静を保ち

に駆け寄って、彼女の細い腕を自分の肩に回した。

合戦の音がどこか遠くに聞こえる。政宗の視線は腕に深々と刺さった矢と

横腹からにじみ出している赤い血液に釘付けになった。












「おい…!?」

「あ…つつ…大丈夫。思ったより浅いです」









横腹の傷の事を言っているのであろう。

急いで敵の目の届かないところに隠れ、に応急手当をほどこした。

確かに横腹の傷は見た目よりも浅かった。だが、腕の方は深い。

迂闊に矢も抜けなかった。








「――――平気か」

「小十郎さんの言いつけを聞かなかったのが悪かったですね」








また怒られるんだろうなぁ、と青い顔で笑うに「そうだな」と返した。

平気ですから行ってください。

更にそう言う彼女に黙って頷き背を向けた。

が言葉遣いを改めたのはいつからだったであろうか。

彼女は練習だと、照れくさそうに言っていた。









「…この戦、勝つぞ」








そう呟いて気を引き締めた。なら…大丈夫だ。

政宗は新たな決意と共に戦場へと戻っていった。






















そうして二人が身を落ち着けたのは、の怪我が完治してからだった。

政宗はにもう剣を持たない事を約束させた。




























「その日を境に、政宗様はまるで別人のように変わられたのです」

「そうそう。物静かになったと言うか、何というか。無茶はしなくなったよな」












政宗がの部屋へと出ていった後、小十郎と成実に父母の馴れ初め話を聞いた煉は

昔の父を思い描いていた。

あの父が昔はそのようであったとは。思いもよらぬ事であった。









「…私も父上を見習わねばいけませんね」

「いいえいいえ。若はそのままで」

「むしろ、俺が俺が!って所を出した方が良いですぜ」

「は、はぁ……」







いやはや、本当に誰に似たのやら若は大人びておりますな。

そうしみじみ言われた煉は喜んで良いものか視線を庭に向けて頬を掻いた。




























「わしが忘れるわけがなかろう」

「どうでしょうね」









同じ頃、完全に機嫌を損ねているの様子に政宗も頬を掻いた。

庭では桜が日輪の日差しを受けて淡く光り、時折吹く気まぐれな風が

花びらを誘って宙で舞っていた。

縁側に座っている二人にもその花びらがふわりと降りかかってくる。

が、庭を見ていてもの機嫌が直るはずもなく。

機嫌うかがいにの顔を覗き込んだが、ふいっと逸らされてしまった。

政宗は肩をすくめながら二つの杯を並べ、の杯に酒を注いだ。









「飲むだろう?」

「〜〜お酒で許されると思われたのなら大間違いですよ」








意固地なの様子に政宗は微笑し、彼女の杯を片手に庭へと降りた。

はそんな夫の背中を怪訝そうに見ていたが、何をしようとしているのかは

見当がつかない。

そんな二人の様子が可笑しかったのか、風が大きく笑って花びらを散らす。

政宗は桃色の花びらを頭に乗せ、の座っている縁側へと戻ってきた。

尚も眉を寄せて見てくるに、政宗は手にしていた杯を差しだした。











「一献」

「ですから――――――」









は抗議しようとしたが、後の言葉が続かなかった。

差しだされた杯には桜の花びらが一枚酒の表面で揺らめいていたのだ。

がその桜と政宗を交互に見て、また桜に見入っていた。

そんな妻の様子に気恥ずかしくなって、政宗は自分の杯にも酒を注ぎ込み

一息で飲み干した。その際ちらっとの様子を窺うと嬉しそうに照れ笑いを

浮かべているのが見えた。










「…頂きます」

「ああ」








すっかり機嫌の直ったは上品に杯に口をつけた。

飲み終えると口の端に花びらが添えられていて。

が気付き、取ろうとしたがそれよりも先に政宗の手が伸びる。

そっと指で花びらをすくい、そのまま政宗はに口付けた。

ゆっくりと離したその唇で悪戯っぽく笑い、耳元でそっと囁く。











「桜の味はしないな」

「当たり前です」








は可笑しそうに笑い、政宗もまた可笑しそうに笑った。

二人のこれからを暗示しているかのように、花びらの舞う庭はとても華やかで

日輪がそれを優しく包み込んでいた。



















   END







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2020番、戸名瀬ちゃんのリクエストでした☆

馴れ初め…というよりは昔話になっちゃったけど
こんなのでも良かったかな…??;
夫婦は「めおと」と読んでくださいませ★

奥州って桜咲きますよね…?
違ったらスミマセン;

戸名瀬ちゃん!リクエスト、ありがとうネ(≧∀≦)
2626番も待っててねー;;


              + 2005/12/20 美空 +