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たとえば、願いが叶うのならば些細な事で良い、静かに言葉を交わせられたらなどと、
つい星夜を見上げてしまうのは、隠しきれない想いが胸で焦れているせいだろうか。
おこした火の前にしゃがみ込んだまま、じっと一枚の紙切れを見つめていたが
おもむろに手を伸ばし、躊躇する事なく手を離した。
ひらりと火の中へ落ちたその紙は、すぐに灰となり微かな煙が空へとのぼる。
俺はまるでそれが天へ届くのを見届けるように、空を仰いで目を細めた。



   さかさ雨



「燃やしちゃ駄目じゃないの、三成」
「!おねね様」
「みんな向こうで結んでるわよ?三成も、もう一枚書いて行ってらっしゃい」
「二枚も書くと、それこそ叶いませんよ」



急に背後に現れたねねにギクリとしながらも平常を装り、肩をすくめてみせた三成は
まるで灰すらも見られてはいけない物のように、さっと火を始末してしまう。
そんな三成にねねは天を指し



「願いよ、天まで届け!って事なのかい?」
「…何だって良いじゃありませんか。放っておいて下さい」



まるで子供がする可愛い願掛けだとでも言いたいようなねねの含み笑い付きの問いかけが
少し癇に障り、三成は苛立ちを覚えた。
笹に結びつけるのと大差ないでしょうと言ってやりたい。
母親のような言動が多い所はねねの良い所であり、癇に障る所でもあると少年のような事を思いながら
三成はねねに背を向けてこの場を去ろうとする。


「…叶えてあげよっか?」
「……は?」
「あたしが叶えてあげるよ。勿論、正則も清正も、ね」


喧嘩しないように皆平等にね、と笑うねねの言葉に思わず振り返ってしまった三成はそんなねねの背中に笑う。
あの二人がどんな願い事をしたかは知らないが、いくら母とてそれは無理だろう。
母であろうと、友人であろうと。自分でさえどうしようもない願いなのだから、叶えるなどとは無理なのだ。
叶えられるのは神と……そう、一人。一人だけ……。


「叶わないから願掛けをするんですよ」


そう言い放って背を向けたのが昨年の出来事。
あの時の願い事は灰のまま、永遠に叶う事はない。
それでも…それでも。
今年も奧の庭で一人静かに火をおこす背中があった。
願い事は、昨年と変わらぬまま……



「燃やして…しまわれるのですか?」
「―――――!」



驚いて声が出ないというのはこの事かと実感した一瞬。
声の主を判断するのにも一瞬の時がかかり、理解すると振り返るのが怖くなって更に時間がかかった。
そうして振り返った三成はろくに顔も見ぬままに片膝をつき頭を下げる。
目が出るんじゃないかと思うぐらいに地面を見つめ、鼓動が速くなるのを感じながら息を整えていると
三成の頭上に、困ったようにおどおどした声が落ちて耳を揺らす。



「ああっごめんなさい…どうか顔を上げてくださいませ…!」
「いえ、しかし…」



どうしたものかと戸惑っている庭先の男に頭を上げてもらうためか、声の主はどうにかしようと慌てた様子で
危なっかしく階を降りてこようとするものだから、三成も慌てて制止をかけるために顔を上げた。



燈花様!お着物が汚れます故、お降りにはなられませぬよう…」
「は…い…。ならば…石田様がこちらへいらしてくださいませんか…?」



夢にまでみた人物が今目の前にいる。
目の前で声を……名前を呼んでいる。
これは夢か。
これは……夢、なのか?







その人は名前を燈花様と言う。
お顔を拝見した事があるだけで、言葉を交わしたのは燈花様がこちらにいらした時に少し。
遠いお方だった。
遠くから見ているだけしかできなかったお方だった。
あとは人々の口からの評判。そして秀吉様の話の中での人となりを知っている。





燈花様は……秀吉様のご側室なのだ。








「石田様は皆様のように笹へは結ばれないのですか」
「ええ…燈花様はもう結ばれましたか?」
「いいえ私は……その、今年は石田様の短冊を預かってくるようにと殿が仰せになりまして」
「…残念ですが、もう灰です」



秀吉様が…?
また妙なお戯れを…と少し疑問に思いながらも苦笑するしかなかった。
三成が火を始末するために一度燈花の元を離れようとすると、あっと短い声をあげた
燈花の手が着物の袖を掴んだ。
そのしなやかな指にさえ目眩を覚える。


「この短冊も…燃やして頂けますか?」
燈花様の分ですか」
「結局…書く事が出来ませんでした」


白紙の短冊を受け取った三成は、書かれていないと知りながらも裏返す事はしなかった。
それを火元へと運びながらぽつりと問う。書く事のできない願いなのかと。
燈花は笑って首をふり、三成に届くか届かないかの声で訳を述べた。


「このもったいない身の上では、もう何も望む事はございません」


その小さな微笑みが消えたのと同時に、足下の火も音もなく消えた。
恐れ多くも、秀吉様に声をかけられたのが冬の事。
丁度その時もこのように提灯の灯りがすっと身を隠すようにして消えたものだ。
身分を気にされない秀吉様は私のような者を側室に迎え入れてくださり、今日までつつがなく過ごしてきたのだが
私は……怖い。



燈花、願い事は書けたのか?わしのと交換して見せ合おうではないか」
「私は何も…」
「あらら、何もないのかい?せっかくなんだから何でも書けば良いのよ?」



突如部屋に現れた二人はにこにこと笑いながら歩み寄ってくる。
私は動かせずにいた筆を隠すように置き、白紙の短冊を二人の目にとまるよう身体を少しずらした。
秀吉は大きく胡座をかいてその場に座り、ねねもその傍に膝をたたんで正座する。
二人は先に笹を見てきたようで、誰の願い事がどうなどと談笑を続けていたのだか、ふと思い出したように声を
あげたねねは三成の名前を出す。



「そういえば三成を見ていないねぇ。あの子は本当に…」
「あやつなら奧の方へ向かっていくのを見たぞ?」
「…呼んで参りましょうか…?」



横から入った声に驚いたのか、二人して燈花の顔を見るも、すぐにねねは笑って立ち上がる。
いいよいいよと手を振りながら。



「うちの人の相手、してあげてて?あたしは三成に短冊を結ぶよう言ってくるよ」



私は…おねね様が怖い。
何もかも見透かされているような、見られているような…
それは秀吉様も同じである事をようやく理解したの時には、もうすでに一年が経過していた。
今、隣に石田様がいる。
それは、喜んではいけない事実だった。



「石田様とは…」
「…どうぞ、三成と」
「…三成様、とは私がこちらに嫁いで来た時以来ですか」



何が、などと無粋な事は聞かなかった。
そう、秀吉様はたいそう燈花様を大切にしておられ、姿は垣間見られても言葉を交わした事は
家来衆の中では誰もいなかった。
そうやって…ひっそりと咲く花のような方だった。



「雨が……どうぞ燈花様。中へ」
「ありがとうございます」



障子戸をすっと引いて燈花を中へといざなう三成は、小姓時代から染みついたまま手つきで音を立てずに閉める。
燈花が燭台に火をつけ、その傍へと腰を降ろしたのだが、三成はどこへ座るべきかと一瞬戸惑う。
そうやって立ち呆けていると燈花が「どうしたのか」と問うような目で見つめてくるものだから
三成は腹を決めて目の前へと腰を落ち着けた。




「三成、わしが一日だけお前さんの願いを叶えてやろうか」



昨年のねねのように、自分が叶えると言い出した秀吉に三成はしばらく言葉を返す事ができなかった。
あの時のように、あなたでは叶えられないと言えば良かった。
そう言って笑って終わらせれば良かった。
だが…できなかった。
唯一、秀吉だけが叶える事ができるという事実に心を揺さぶられ、それだけで全てを悟られてしまったかもしれない。
辛うじて出た言葉が「お戯れを」の一言で、そのあと秀吉は笑って立ち去ったが三成は吹き出る冷や汗に寒気を覚えた。




パチン。
手にしていた扇子を一つ鳴らした三成の姿が先ほどの秀吉と重なって見えた燈花は
早くこの場を去らなければいけないと感じた。



燈花。三成は今年も裏にいるようでな。ちょっと引っ張ってきてくれはせんか」
「外に出ても宜しいのでございますか?」
「わしを裏切るな?時間はかかっても良いでな。連れてきてくれ」



三成が来るか来ないかは、お前さんにかかっておる。
必ず連れてこい、そう言う秀吉の意図が掴めないまま、ずっと追ってきた背中に声をかけた。
そうして今、三成は燭台で半分顔を隠しながらも目の前に座っている。
雨の屋根を打つ音がやけに響いていた。
気をつけていないと、三成の言葉を拾えないほどに。



「……浅ましくも、嘘を申しました」
「嘘、とは」
「望み…願い。ないわけではありません」
「それは普通の事だと」
「三成様は叶いそうですか?私は…三成様が燃やして下さったおかげで叶いました」
「あの……」



外に出たいと、思っていましたから。
そう付け足した燈花の言葉は、三成の問いかけよりも速すぎず、それでも遅すぎない拍子で
耳に届き、三成は返答に詰まる。
嘘ばかりの言葉の中から本音を拾い出して欲しいと思うのは自分勝手な事だと燈花は俯いた。
一日だけ。
三成の頭の中ではその言葉が離れなかった。



「俺…私の願いも叶いました。……あなた様が話しかけて下さったので」



常々、負ける勝負はしてこなかった。
だからと言って、今回のは勝てると判断したからではなくて、秀吉の言葉は絶対だから。
今日しかないのだ。
そんな思いが三成を駆り立てる。



「三成様、それはっ……」



今度は燈花が問う番だった。
だがそれは燭台の灯とともにかき消され、灯のない部屋は自然と声が落ちてひっそりと静かになる。
雨の音に重なって発せられた三成の声が近くに感じた。



「この日に雨が多いのはなぜだかご存じですか」
「いいえ…」
「逢瀬を、誰にも邪魔されないためです」



三成が手を伸ばすと、火の消えた燭台は小さな音を立てて倒れ、その腕には燈花の身体があった。
燈花の手は胸元にあり、いつでも押し返せる体勢だったが、その反発力はまだない。
邪魔をされないため…?と本当に小さく問いかけられた言葉を一字一句逃さぬよう拾い上げた三成は頷き、
肯定の言葉を述べた声は更に小さかった。



「雨で…誰にも見られないから。そして…誰にも聞こえない」
「誰…にも…?」
「………好きです」



手の力が強張ったのが分かった。
三成は突き放されないように腕に力を入れ、もう一度伝える。
好きだったと。



「誰にも聞こえない今日だからこそ……燈花様、あなたに言える」
「私は……」



燈花はそれ以上は何も言えず、ただ手を背中に回すだけだった。
側室だの何だのと、そんな事は始めから分かっている事だ。
背筋を伸ばした燈花は三成の耳元に唇を寄せて同じ言葉を返すと、後はもう止まらなかった。
三成の唇が遠慮がちに燈花に触れる。
触れあう音と共に吐息が漏れ、「三成様」と燈花が囁く。
熱くて、熱くて。
そして幸せだった。






  
「わしを裏切るな」






翌日から、三成が燈花の姿を見る事はなかった。
そしてそれは、更に日を重ねても変わらないまま。
そしてそれが変だとも思わなかった。
それだけ、遠い人だったから。



「おう三成。お前さんも茶の一杯でも飲んでいくか」
「いえ…仕事がありますので」
「ちょっとぐらい構わないよ。ほら、飲んでおいきなさいよ」
「………」



強引にねねに引っ張られる形で着座した三成は、二人の顔を見れないでいる。
差しだされた茶をすすり、早々にこの場を去ろうと考えるがそれは秀吉の声で引き止められた。
ねねにもたれかかるようにして座っていた秀吉は目を閉じ、頭を膝の上へと移していた。



「三成ぃー、人と話す時に目を逸らしては負けじゃ」
「お前様はいつも話が急だねぇ。何のこっちゃ分からないよ」
「ふと思っただけだ。深い意味は…ないがの」
「そうだお前様?三成にはあの事話しておいても良いんじゃないかい?」



秀吉の最初の言葉にドキリとした。
この人は……何もかもお見通しなのかもしれない。
深い意味はないと言いつつも受け止めるこちらには心当たりがありすぎて。
それでも。
それでもあの日から何も言われないのは……などと淡い期待を一瞬でも抱いてしまった自分の短絡さに、
乾いた笑いしかできなくなったのは次に続いた二人の言葉。



「まだ誰も知らんのだが…燈花を郷へ帰した」
「あの子のたっての願いでね。心配しないで?」



郷までは私がちゃんと送っていったからさ。
笑ってそう言うねねに秀吉も笑う。
笑う、笑う、笑っている……
それは三成が自分の浅はかさを思い知るには十分だった。



「そうそう。ねねが送っていったんじゃ怖いものはない。わしも心配しとらんぞ」
「……そうですか。珍しいですね、秀吉様が女性を諦められるなんて」
「かなり惜しいんじゃがなー…いててててっ」



頬をつねられている秀吉に聞こえたかは分からないが退出の挨拶をし
仕事場へと戻る足取りはまだしっかりしていた。
手にしていた資料を置こうとすると手が滑り、大きな音を立てて崩れていく。
手の震えを抑えたいのか、それとも隠したいのか。
片方の手で押さえながら膝をついた。
秀吉は燈花が郷に帰ったと言う。
ねねがそれを送っていき、ねねが行ったので安心だとまた秀吉は言う。
三成にはそうは思えなかった。



「三成、来年の願い事は決まったかい?」



後ろから自分を呼ぶ声に振り返ったが、それは彼女ではない。
いつもの笑顔で立っているおねね様が今はただ怖かった。
そのねねが唐突に聞いてくる。
そして思い出した。
ねねの願い事を。



「…良かった、ですね?秀吉様の浮気の心配がなくなって…」
「あはは。そうなんだよね。そう……」












「これであの人はあたしだけのものだよ」











くすくすと静かに笑うねねに、恐怖で身体が震え動かない。
そんな三成にねねは一歩ずつ近づき、手に何か触れさせたかと思うと耳元で囁いた。



「『一日だけ願いを叶えてやろうか』」



そう、それは秀吉から三成への言葉で。
秀吉のいう事は絶対だと、自分で分かっていたはずなのに
あわよくばこれからも…などと思っていた自分が浅はかだった。
一日。
そう、三成が燈花に会えるのはあの一日だけだったというのに。












「最後に名前呼んでたよ、三成?」











紅い苦無に涙が染みる。
来年も書こう。同じ願いを。
叶えられるものなら叶えてくれ。
あの人はもう俺の名を呼べないのだから。








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遅れながらも七夕夢。
これは去年から考えてまして、ようやくお目見え。
『逢瀬を邪魔させないために雨が降る』っていうのは友人に聞きました。
雨が降ると会えなくなるっていう解釈よりも素敵だったので思わず。。

視点と回想がパラパラしているのはわざとですのでご了承ください;



++ 2007/7/14 ++