「なぜお前はそのように平気な顔をしておる!」
「あの父上…まだ本当だと決まったわけでは……」
「少しは慌てなさい!このままでは…このままでは……!」
「離縁される、でございますか?」


父が散々言ってきたこの『離縁』の言葉は、今やもう耳にたこができるぐらい聞かされてきたものだ。
やれ言葉遣いを正せ、やれ淑やかにしなさい…極めつけには
「ここで離縁されてはもう貰い手がおらぬぞ!」
……その通りかもしれないけど…
私が思うに、離縁・離縁と騒ぐ事は、信用していないみたいで幸村殿に失礼ではないのだろうか……
…まぁ、父上の気持ちも分からないではないのだけれど。


「ならばもっとしっかりしなさい!」
「あら、戸の音が」
「こ、これ!待ちなさいっ!まだ話が―――」
「幸村殿をお迎えにあがるだけですよ」
「ならよし。粗相のないようになっ」


どこをどうすれば玄関へ迎えに出るだけで粗相できるのよ……
後ろで義母上が父をなだめてくださっている。
しょうがない父だが……私は好きよ。


「お帰りなさいませ」
「ああ、今帰ったよ」


こうして小さく笑んでくれる幸村殿の意中の人……
私には分からないけれど、ふとかすかな香りが鼻にとまった。




 階段の途中 [ 3 ]




「…誰か来ているのか?」
「あ…父が…」
殿が?それは急ごう」


走るのではないが、にわかに歩く速度を上げた幸村殿は、父と義母上の待つ室へと歩いていった。
私もその後を追う。


ど―――いえ、義父上」
「おお!婿殿。お邪魔しておるよ」
「はい。……父はまだですか?すみません、せっかく来て頂いているのに……」
「いやいや。今日はの様子を見に来ただけじゃから」


まぁ婿殿、座ってくださいな。
先ほどからやたら「婿」を強調している父の様子に私は頭を押さえた。
先の会話までは「幸村殿」と申していたのに。
…父上はきっと私の言葉を気にしているのだろう。だから幸村どのは私の婿であると
覚えておかせようとしているのだ。
幸いなのは、幸村殿がそれに気付かず父と話している事で。
私は気付かれないようため息をついた。


「これ、婿殿に酌をせぬか」
「あ…失礼しました」
「いや、すまぬな」


そっと注いだ所で丁度中身が切れてしまったようだ。
それを知らぬ父は「わしにも」と杯を差しだして催促した。
私は瓶を父から遠ざけるようにし、少し咎めるように、それでいて冗談を含んだように
父に問いかけた。


「父上はさきほどから十分に飲まれているでしょう?」
「良いではないか」
「誰かさんがよくお飲みになるので、切れてしまいましたよ」


舌を出して立ち上がり、新しいお酒を持ってくるため一度三人の傍を離れる。
そんな私の様子を見た父は苦笑を、義母上は可笑しそうに微笑んでいた。
唯一、幸村殿だけは私が背を向けていたので何をしたのかは知らない。
そうして、私がお酒を手に戻ってくると何やら会話が弾んでいた。


「………というわけです」
「はっはっは!それは愉快!いや、お若いな婿殿も」
「いや、義父上もまだまだ」


父が顔を赤くして笑っていて、その話し相手が幸村殿というのだから私には不思議だ。
いや、軍内でも付き合いのある二人なのだから不思議はないのかもしれないが……
そういえば……幸村殿にとって父とはどのような人だったのだろうか。


「父上、もう控えた方が良いのではないですか?」
「何を言う。まだまだこれからじゃわい」
「…あ、そ。……義母上は…?」


先ほどまで確かに居た義母の姿が見えなくなっている事に疑問を抱き、父に問う。
……別に、幸村殿との会話を避けているわけではないのだけれど……
こう、親しい人が他にいると、ついついそちらに話しかけてしまうのだ。


「男同士で話した方が良いだろうと言われての」
「あ…では私も席を――――」
「お前まで席を立ってどうする!」
「いや、構わないよ。義父上が飲み過ぎないよう私が見ておくから」


幸村殿の申し出に思わず笑ってしまった。
「ではお願い致します」と笑ったままお願いし、一礼して室を後にする。
……優しい人だ。いや……もしかしたら単に私が居ると話がしにくいというだけかもしれないが。



寝室に入ると外の暗さと相まってか、とても薄暗くてひんやりとしていた。
燭台に火を灯すと明るさがじわっと広がり、そんなわけないのに温かくなった気がした。
布団を敷きながらふと庭に目をやれば、月明かりの中庭の木がそよ風に揺られている。
そんなそよ風と共に、どこかで鼻にしたかすかな香りが部屋へと入ってきて。
おもわず「誰?」なんて声に出してしまった。……人なんていないのに。
するとヒュッと空を斬る音がしたかと思うと、着物の裾が床と縫い合わさってしまっていた。


「きゃあっ!?」
「おっかしいな。避けると思ったんだけどね〜」
「だ、誰ですか!?」
「あたし?あたしは……」
「どうした!?」


目の前にいる女性はとても身軽な格好をしていて、着物に刺さった物をみると、手裏剣のようだった。
忍びか……それなら無駄かも知れないと思った正体への問いかけにあっさりと答えてこようとした
彼女は、私を知っているように見えた。
その時、私の上げた声を聞いたからか、男の人の足音が近づいてくる。
それは声によって幸村殿であることが分かる。


「どうされ――――」
「あ、幸村様こんばんは〜」
「くのっ……殿!怪我はありませんか」
「は、はあ……」
「おりょっ?彼女が様でしたか〜。それは失礼しつれい」


わざとらしくおどけてみせる彼女は自分の投げた武器を回収しながら私をまじまじと眺めてきて。
そして次の瞬間、幸村殿の拳が彼女の頭の上に落ちたのだ。


「ぃたたた……」
「何の用で来たんだ?」
「幸村様ご自慢の奥方様を見に、ね」
「べっ…べつに自慢など!」
「あ、そっか。自慢はしてませんでしたね〜」
「え?いや……」


幸村殿がちらっとこちらを伺ってきたのが分かった。
それは照れからくるようなものではなくて「自慢していない」などと肯定してしまえば
私に失礼だと思ったからだろう。
私は、何も聞いていませんよというように自然にし、改めて彼女に問いかけた。


「くのいち…さん?」
「幸村様付きの忍びです。以後お見知りおきを〜」
「…別に私付きではなかろう」
「似たようなモンじゃないですか」
「まったく……って、おい!着物が…!」


幸村殿は私の着物の裾を見てくのいちさんを再度怒鳴った。
……幸村殿とはこういう方だったのかしら?
今まで見ることのなかった幸村の一面を見、そんな自分を自然とさらけ出せているくのいちとは
付き合いが長いということなのだろうか……それとも………


「だってアタシの存在に気付いたぐらいだから避けると思ったんですよ」
「普通は初対面の人に手裏剣を投げたりしない…」
「どうして分かったんですか〜様?」
「えっ……?」


急に話題を振られた私は……答えることができなかった。
幸村殿は「話をきけ…」とため息をついている。
…香りがしたのだと言ってしまえば良かったのだか…忍が香りなどさせるだろうか?
でも………


「じゃ、アタシは帰るね〜ん」
「こらっ……」
「邪魔者は退散たいさ〜ん」
「くのいち!」


気まぐれに聞いただけなのか、答えも聞かずに彼女は消えてしまった。
幸村殿は再びため息をついて私の近くへと歩み寄った。


「すみません。今度きちんと言って弁償を…」
「いえ、私は別に気にしませんから」
「そ、そうですか?」
「(気にする所だったかしら…)くのいちさんとは仲がよろしいのですね」
「え?」


幸村殿が目を丸くして私の顔を見た。
何か変なこと言ったかしら……って!
私は慌てて「変な意味はありませんよ!?」と取り繕った。嘘ではない。


「戦等でなにかと共になりますから」


幸村殿は嘘ではない事を悟ったのか、そう言った後思い出したかのように父が帰ったことを告げ
もう休みましょう、と庭に面した障子戸を閉めるため立ち上がった。



ああ、やはりあの香りの持ち主はくのいちさん―――――。







 ―― 幸村side ――



キィッと外の戸を開け、点々と玄関まで続く石の上を歩いていく。
そうして辿り着いた玄関をくぐると、丁度殿が見え


「お帰りなさいませ」


と丁寧に出迎えてくれた。
この光景にまだ慣れていない自分を押し隠し、私も「ああ、今帰ったよ」と答えて履き物を脱ぐ。
……これは……誰か来ているのか?


「あ…父が…」


少し言いにくそうにしている彼女はどこか遠慮しているようで。
まぁ…まだ無理もないか。私だって彼女に……遠慮はある。


殿が?それは急ごう」


殿が何か言いかけたようにも見えたが、殿が来ているとあっては
急いで参らねばと思い、どうしたのかと聞くことはしなかった。
できるだけ足を速めながら殿の待つ部屋へと向かうため、廊下を折れてすぐの部屋に足を踏み入れた。
そこには殿と母がいて。


ど―――」


ああ…そうか。
先ほど殿が何を言いたそうだったのかが分かった。
いつも殿、殿と慕っていたからついそう呼んでしまっていたのか。
私は少し照れくさくなったが、いつまでも他人行儀にしているわけにもいかないので
呼び方を改めた。


「いえ、義父上」
「おお!婿殿。お邪魔しておるよ」
「はい」


義父上と呼んだ時、殿が嬉しそうに顔をほころばせたのが分かったのと、
「婿」という言葉に先ほど以上に気恥ずかしくなった。
ここに父が居たらきっと――――
そう考えを巡らせてから父が居ないことに気付いた。
まだ帰っていないのか……?


「父はまだですか?すみません、せっかく来て頂いているのに……」
「いやいや。今日はの様子を見に来ただけじゃから」


父親としてはやはり心配なのだろな。
私たちにはまだ何もないのだから心配は無用なのだが……
この時、私にはまだ殿が…いや、お互いの両親たちが「何もないこと」に心配を抱いているなどと
気づきもしなかったのだ。
私が「心配をかけぬよう心がけねば…」とトンチンカンな事を考えていると殿が殿に
酌をしろと言い、杯を私に手渡してきた。


「失礼しました」
「いや、すまぬな」


女性特有の細い指が瓶を支え中身を注いでいく。
が、どうやらその一杯分で中身が切れてしまったようだった。


、わしにも一献」
「父上はさきほどから十分に飲まれているでしょう?」
「良いではないか」
「誰かさんがよくお飲みになるので、切れてしまいましたよ」


そんなやり取りをしたかと思うと彼女は立ち上がり、新しいのを取りに行くのだろ、静かに退出していった。
彼女が立ち上がった時、殿は渋い、母は可笑しそうに笑って殿の後ろ姿を見送っていたが
なにがあったのかは私には分からず、ただ彼女は父親とはこのようにして会話しているのだなと
新しい一面を知った思いだった。


「いやーそれにしても、幸村殿が婿となってくださり、わしも鼻が高いですぞ」
「私こそ、殿が親類となってくださり嬉しい限りです。きっと父も。ねえ、母上」
「そうですね。夫昌幸も殿とより親しい間柄になったことを喜んでおりました」


父と殿は軍中でも仲が良く、よく共にいるのを目にしてきた。
きっと……二人の友情は切れることはないだろう。
私は羨ましく思いながら、二人のためにも殿とはよくしていこうと思った。
……そう、この時の私の彼女への想いはこの程度だったのだ。


母が気を利かせて「男同士の方がよろしいでしょう」と席をはずすと、
殿はまるでそれを待っていたかのように「ところで」と切り出してきた。


「ところで…婿殿にお聞きしたいのじゃが」
「なんですか?」
「婿殿はと一緒になる以前、良い女性などはおられたのかな?」
「……は」


いきなり殿が妙なことを聞いてきたので思考がなかなか追いつかなかった。


いや、そういうお方がおられるのならば、に遠慮などせずお迎えしたりすれば良いのだと……
ああ、いやしかし今は新婚故、もう少し月がたてば…と………


殿には珍しく早口でそうまくし立て、あまり視線を合わそうとしない。
私はなんだか可笑しくなって、失礼と思いつつも笑いが止まらなかった。
別の女性を迎えても良いなどと、彼の本心でないのは一目で分かる。


「私にはそのような女性はいませんよ。ご安心下さい」
「は……そ、そうじゃったか……いや、お恥ずかしい」
「むしろ……」


そう、むしろ殿だ。
想う人がいたから今まで結婚しなかったのかもしれない。


「でなければ、あの淑やかな方が今までお一人だったとはとても」
「淑やか!?あ、いや…まぁ……」
「 ? 」


歯切れの悪い言葉に首をかしげたが、その後は殿の若い頃の話を聞いたり
自分の話をしたりと、こんなにゆっくり話が出来るのも親子になったからかもしれない。
殿が運んでくれた酒を酌み交わし、途中からは帰宅した父も一緒になって話した。
そして帰る殿を見送って再び戻ってきた折だった。彼女の声が聞こえたのは。


「どうされ――――」


寝室に繋がる襖戸を勢いよく開き、目にしたのはくのいちと畳に座り込んでいた殿だった。
どうやら着物の裾を手裏剣が押さえているらしく。
くのいちはと言うと、呑気に挨拶などしながらその手裏剣を回収していた。


殿!怪我はありませんか」
「は、はあ……」
「おりょっ?彼女が様でしたか〜。それは失礼しつれい」


こいつ……絶対彼女だと知ってたな……
白々しく言うくのいちの頭に拳を一つ落とした。
いたたた、と頭を押さえるくのいちに何用だと問いつめたところ、
こいつはとんでもないことを言い出したのだ。


「幸村様ご自慢の奥方様を見に、ね」
「べっ…べつに自慢など!」
「あ、そっか。自慢はしてませんでしたね〜」
「え?」


確かに自慢はしていない。聞かれたことに答えただけで、自慢とまでは……
だが、ここで是と言うと彼女が………
彼女の様子をちらっと見ると「何のお話ですか」という表情をしていた。
私はホッと胸をなで下ろす。
下ろしたが、目に止まったのは彼女の着物にできた傷で。所々小さな穴があいている。


「アタシの存在に気付いたぐらいだから避けると思ったんですよ」
「普通は初対面の人に手裏剣を投げたりしない…」
「どうして分かったんですか〜様?」


急に話題を振られた彼女は言葉に詰まったようだった。
まったく話をきかないくのいちは、問いかけておいて彼女の答えを聞く前に帰ると言い出した。


「じゃ、アタシは帰るね〜ん」
「こらっ……」
「邪魔者は退散たいさ〜ん」
「くのいち!」


本当に何をしに来たんだあいつ……
息を吐き出し、気を取り直して彼女を振り返った。
穴があいたままでは悪いだろうし、くのいちに弁償させると伝えると
別に気にしていないという意外な答えが返ってきたので思わず目を丸くしてしまった。
意外と物事に頓着せぬ人なのか…?
いや、それ以上に次の何気ない一言に更に驚いてしまった。


「くのいちさんとは仲がよろしいのですね」
「え?」
「あ、変な意味はありませんよ!?」


単にそう思っただけで…と慌てた彼女は、きっと本当にそれだけなのだろう。
アレと…仲が良いように見える……のか?
私は小さく首を傾げたが


「戦等でなにかと共になりますから」


そう言って答えた。
親方様が何かと私たちを組ませるからだな。
殿を見ると、納得したのか小さく頷くのが見えた。


「あ、義父上はちゃんと帰られたよ」
「あ…すみません、お相手させてしまって」
「いや、構わない。私も楽しかったので」


私は開いていた障子戸を閉めながら、もう休もうと切り出し、
彼女はそれに頷いた。




いったいあと幾夜こんな夜を過ごすのだろうかなんて、そんな考えを巡らすことさえなかった
私の頭は、とりあえず明日彼女に新しい着物を買ってこようと、そんな事を考えながら眠りについた――――。






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お待たせしましたー幸村長編夢・第3話となります;
きりの良い所で――と思っているとこんなに長くなってしまいました…
次回は幸村が着物を買う?夢主が着物を繕う?
どうなる夫婦、そして進展は――?


 ++ 2006/4/1 美空 ++