「水を貰えるかい?…殿……」
「あ、おはようございます幸村様」
「おはよう…それは…」
横へ少し視線を外した幸村の言葉が指したものはきっとが身につけている着物のことで。
は一度着物に視線を落とし、改めて顔を上げ幸村に問うた。
「どうです、か…?」
の問いに顔を正面に直した幸村は一瞬固まっているように見えた。
「良いんじゃ…ないかな」
幸村はそう答えた後、何も言わずに水を飲み干した。
階段の途中 [ 5 ]
「あら、殿。よくお似合いですこと」
「ほぉ…うむ、似合うておる」
「あ、ありがとうございます」
今日に限って、変えた着物を二人に褒めて貰ったは照れくさく感じながらも
幸村からはどっちつかずな感想しか貰えなかった後だったので嬉しかった。
その買った当人の幸村は気にしていないそぶりで「いただきます」と朝餉を口に運んでいて
たち三人もそれきり着物の話題を振るのはやめた。
「良いんじゃないか」と言われて嬉しくなかったわけではない。だが、嬉しかったかと聞かれても
即答することはできないだろう。
結局は褒め言葉を期待していたのかと、は自分の身勝手さにため息をついた。
それでも、着物を貰った事は本当に嬉しかった。たとえ、きっかけが彼女のやった事のせいだとしても。
はもう一度お礼を言うために、玄関から足を踏み出した幸村を呼び止めようとしたのだが
幸村が先に振り返ってこちらを見た。
「殿。あの――」
「奥様。たった今ご実家の方から文をお預かり致しました」
「はい?――え?文?」
始めの返事は幸村の呼びかけへ。
そして内容を聞くより先に使いの者が割って入ったのでそちらにも返事を返す。
文…急に家から文という事で内容が気になった。それは幸村も同じようで、足は玄関から一歩踏み出してから
動かない。
「母が…伏せっていると」
「!義母上が?」
「重くはないようですが、今日は人の手が少ないそうで……」
は幸村に後で少し母の様子を見に行きますね、と決めた事だが伺うように伝えると
幸村は一度頷き、自分も行きたいのだが…と後ろ髪を引かれる思いで家を後にしていった。
それを見送った後、も続いて家を出て実家への道を歩く。
町中を進んでいく中、は自分が無意識に首を巡らしていることに気付いたのは
ふとある人物に目が止まったからだった。
「佐助さん?」
人々の中に探していた顔を見つけ、思わず名を呼びかけたのだが、聞こえなかったのか
佐助はこちらを振り返ることなく、傍らにいた人と会話しながら人の中へと消えていった。
私は探していたのか…?
そう考えては首を振った。
母が伏せっている時に何を……容態は軽いと分かっているからだろうか、気持ちのどこかにまだ
余裕があり、そんな自分が恥ずかしかった。
はもう一度首を振って気を取り直して歩き始め、少し店にも立ち寄り、母への見舞い品を購入した。
そういえばまだ幸村殿とは並んで歩いた事がないなと思い起こした自分の記憶の中で
自分の隣には佐助がいた。
なぜこうも彼の顔が頭をよぎるのか……
「何をしているのかしら私は……」
今は佐助に気を取られている場合ではない。
そう思ったは力を少し見舞い品を持つ手に入れ、実家への道を早足で進んでいく。。
…は佐助に気を取るようになっている自分にまだ気付いてはいなかった。
すい、と懐かしい景色が視界を横切っていき、自分は今までこの景色の中で生きてきたのだなと
は目をわずかに細めた。
あの頃はこの景色しか知らなかった。
父が居て、母が居て。家に仕える者が居て、自分が居る。
友人も居たが、皆自分よりも先に嫁いでいってしまったし、逆にはそんなものに興味はなかった。
そんな私がようやく祝言をあげ、見慣れたこの景色の先に住むようになり、接する人の数も倍になった。
父とは、嫁いだ後もたまに顔を合わす機会があるので今まで何とも思わなかったが、今久しぶりに帰ってみると
それまで自分に近い存在だったこの家も、母も。なんだか少し遠くなっていたように感じる。
は自宅の門前で足を止め、ここを出てからまだあまりたっていないというのになぜか懐かしく、そしてこの門が小さく思えた。
小さく息を吸ってからは足を敷地内に踏み入れ、玄関までの短い道のりを進んだ。
そうして、母を呼ぼうとしたのだが伏せっているということに気づき、誰を呼ぼうかと考えていると中から女中が出てきたので頭を下げた。
「様!あぁ良かった、奥様をお止めください!」
「い、いきなりどうしたの?」
「それが――」
「あら。わざわざごめんなさいね」
「は、母上!」
玄関先で事情を聞こうとしていた所へ伏せっているはずの母が現れ、は目を見開いた。
女中は慌てて母に駆け寄る。
「奥様!病み上がりでいらっしゃるのに、まだ横になっていてくださいませ!」
「軽い風邪だったのですから、もう大丈夫ですよ。せっかくも来ているのですし…」
「奥様!」
はなんとなく状況を飲み込んだ。
母はきっと体調が良くなったからと、床から起きあがっているのだろう。
は困ったようにため息をつきながら、家に上がって母親の背を押した。
「もう母上、はやく戻ってください」
「本当にもう平気なのですよ?」
その言葉には応えないままは母を寝室へと押し込み、自分はその枕元に座り込む。
母は上半身だけ起こしたままの顔をまじまじと見てきたかと思うとにっこりと笑って
「元気そうですね」
「…母上も、思っていたより元気そうで何よりですよ」
「どうですか?あちらのお家では」
「は……」
なんと答えようかと躊躇していると先ほどの女性がお茶を運んできてくれたので、一端母から離れて
受け取りにいく。そうして元の場所に戻ったはそのお茶を口に含み、喉を潤して言葉を紡ぎやすくした。
母はというと、急かすわけではなく、ただにこにこと笑ったままの言葉を待っていて、それは別の話題に逃げることを許さなかった。
とて、逃げたかったわけではなく、ただ何となく話すのが恥ずかしかっただけだった。
父にはさらっと言えたことが、母にはなぜだか言いにくい。
「よくして頂いていますよ。幸村殿もお優しいですし……」
「でも御子はまだのようですね?」
「!?なっ、は、母上!?」
「実は、あなたに聞かずともお父上がお話くださいますのよ」
父上が!?で、でも父上はそう頻繁にこちらへいらしているわけでは……
小さく声を立てて笑う母は、訳が分からず混乱しているを助けてあげようと…したのかは分からないが
更に衝撃的な事を言い出した。
「きっと、幸村殿のお父上…昌幸様にお聞きになるのだと思いますよ」
「〜〜父上っ」
混乱は恥ずかしさと恨めしさに取って代わり、今はまだ帰っていない父親に声を荒げる。
そして急に幸村のことが心配になってきた。
母は義父上に聞いているのでは、と言うが、もしかしたら幸村殿もいろいろちょっかい出されているのでは…?
そう思うとなんだか落ち着かなくなってきて、まだ帰ってくるはずもないのに玄関の方向へと視線がいってしまう。
帰ったら問いつめてやる。
「幸村殿はどういう方?」
「え?あ、とてもまじめで、お優しい方です。この着物だって――」
「あらあらあら?」
「やっ、でもこれは!くのいちさんが私の着物に穴を開けたので、その責任感からでっ……」
責任感
言いかけてはっとしたは恥ずかしくなって顔の前で手を振り、言い訳を始めたのだが
自分で自分の地雷を踏んでしまった。
くのいちさんの事がなければ……こんな事はなかった。
「くのいちさん?」
「幸村殿付きの忍の方で――」
「…?」
「…幸村様の……好きな方かも…しれません……」
だんだんと声が小さくなり、の頭が徐々に下がる。
誰にも打ち明ける事のできなかった自分の考えを、心配をかけたくない親に言ってしまった罪悪感の裏で
ちょっとした開放感を感じている自分がなんだか情けなく、顔を上げることができなかった。
は、胸の痛みが罪悪感だけからくるものではないという事も、とっさに他人としての『殿』ではなく
妻としての『様』へと敬称を変えていた事にも気付いていなかった。
そんな娘に、母は静かに言った。恋をしているのね、と。
「私も、そんな風に悩んだ事はありますよ。それもたくさん」
「 嘘 」
「本当ですよ。父上が私をどう思ってらっしゃるかなんて、分からないもの」
「何を今更…」
「そう、今更ね。でも父上は仰って下さらなかったわ。ただの一度も」
私と父上も、親同士が決めた結婚なの。
は母の告白に驚いて顔を上げる。
昔から、仲の良い両親だったから…何の根拠もなく恋愛結婚だと思っていた。
それぐらい二人は愛し合っていた。そう……見えた。
見開いたの瞳が映す母は、静かに笑っていたが、そこに寂しさの色は無く
昔話を聞かせてくれた。
「父上とは歳の離れた幼馴染みで…よく面倒を見て下さったわ」
そして、そんなお父上が私は好きでした。
次々と聞かされる事実がただただ驚きでしかなくて、は声も出せずに聞いているしかなかった。
母の表情は相変わらず物静かで、更に話を進めていく。
もちろん、面倒を見てくれていたのは小さい頃だけで、大きくなってからは話もしなくなりましたし
町で出会う事もなくなりました。
それでも…好きでしたから、あなたのお爺様が決めてきた婚儀に異論はなかったわ。
とても嬉しかった。
でも、あの人は?お父上はどうだったの?
一緒になっても、あの人は昔と変わらずお優しかった。それでも…とうとう言っては下さらなかったわ。気持ちを。
そして…私も言わなかったわ。言えなかったの。
母は、そこまで話すと「眠くなってきたわ」と布団に横になった。
には母の気持ちも父の気持ちも分からなかったので、こういう言葉しか出てこない。
「どうして…聞かなかったの?どうして言わなかったの…?」
「そうね、言えば良かったのよね。そう思うのなら…あなたはちゃんと伝えなさい。聞きなさい」
「私はっ…」
「今じゃなくても…この先、ね」
そう言って、母は疲れたのか静かな寝息を立てて眠りについてしまった。
母は、「恋をしているのね」と言った。
だが私は…恋をした事がないのでどうなのかは分からない。恋とは…嫁いだ後でもできるものなのか。いや……
はゆっくりと息を吐き出して寝室を後にした。
外を見れば日が傾き始めていて、本当は、様子を見て帰るつもりだったのだが放って帰るわけにもいかず
今日は実家に泊まる事にした。
急いで文をしたためて幸村の元へ届けるよう指示し、母の代わりに家の掃除などを始める。
そうしてどの位時間がたったのだろうか。
そろそろ父が帰ってくるかも、と思った矢先、玄関の方から父の声がした。
「帰ったぞ」
「お帰りなさい父上――ゆ、幸村殿!?」
「おお、まだおったのか。幸村殿の言うとおりでしたな」
「そうですね」
二人が何の事を言っているのかは分からなかったが、とにかく幸村がここに居る事は確かで
は少し動揺した。顔が「どうして?」と語っている。
「幸村殿がな、お前の迎えと見舞いのために来て下さると言われたのでな。嬉しかろう?」
「どうせ父上が強引に引っ張ってきたのでしょう?申し訳ありません、幸村様」
「あぁいや、これは私が言い出した事で――」
「そうじゃ!幸村殿から言って下さったのじゃぞ!!」
意外な二人の言葉には幸村と父の顔を交互に見ていると、幸村が頷いたので…顔に火が付いた。
素直に父の言葉を信じなかった事が恥ずかしかった…事が三分の一。
「そ、そうなのですか?すみません、わざわざ…!」
「、そこはお礼を言うところじゃぞ」
「あっ…あの、幸村様!」
「はい」
「ありがとう…ございます!」
私は…嬉しかったのだ。きっと。
この鼓動の速さが……そう語っている。私に教えている。
嬉しくて、綺麗な笑みを作る事ができず、破顔して気の緩んだ表情になってしまっているのが分かる。
「と、ところで殿、義母上のご容態の方は……」
「元気そうですよ」
「それは良かった。では私はご挨拶に」
「あっ幸村様――」
母は今眠っていて話す事はできない、と言おうとしたのだが幸村の方が早く、廊下の角へと消えていった。
幸村の足取りの速さにはまだ玄関先であったことに気付き、疲れている幸村を立ちっぱなしにさせていたのだと
焦った。そして慌てて父親を振り返り中へ入るよう勧めた。
父はというと幸村殿が去った方向とを交互に見ていたかと思うと
「この果報者め」
なんて笑いながら客間へと入っていった。
は首を傾げながらも父の後について歩き、目の前に鎮座したのは良いが、先ほどの母の話を思い出してしまい
なんだか一人気まずい雰囲気だった。
そんなの様子など気にしていないのか、父はいそいそと座の用意をしていて、それが終わると
「酒じゃ」と持ってくるよう促してきた。
「ちょっと、もう帰られるかもしれませんよ」
「飯ぐらい喰っていけば良い。それにお前、今まで居たのは泊まるつもりだったのじゃろう?」
そうでなければとっくに帰っておったはずじゃ。
だから幸村殿にも泊まって頂け、と言って嬉しそうに笑う父に「私は」と言いかけると丁度その彼が戻ってきた。
遠慮がちに入ってきた幸村はそのままに伺いをたてるように問うてくる。
「義母上が夕餉を食べていってはどうかと仰られて…その、良いかな?」
「おお、それが良い!幸村殿と一杯できるわい」
「父上!!」
「お付き合い致します」
「もう……」
そうこぼしながらも幸村殿と父が仲良さそうにしているのは娘として嬉しいものだ。
そういえば……父上は今日、幸村様を「婿殿」とは呼ばない。
どうしたんだと思いつつ用意をしてきます、と一度席を外したは台所へと向かい、そこに母の後ろ姿を見た。
またこの母は…と半ばあきれながらも母子で並んで料理をし始めたのだった。
「、少しは裁縫は上達しましたか?」
「う…」
「幸村殿の着物を見る限りではまだまだのようですね」
「呉服屋の店主に今度習いにいこうかと……」
「何なら母が基本を教えてあげますよ」
思わず呆然と口を開いたままになってしまったのは何て事はない、今の今まで母に教わるという選択肢を
考えた事がなかったので、そんな方法があったのかと納得していたのだ。
そしては料理する手に目をむけたまま答える。
「…そうね、その方が気が楽だし、母上に教えてもらおうかな」
「ふふふ、楽しみが増えました」
照れくさくて母の方を見られなかったは出来上がった料理を二人の待つ部屋まで運んで行こうと膳に乗せた。
そうして部屋に入るとすっかり二人は酒と話に華をさかせており、少し酔っているのか「ありがとうございます」と
お礼を言ってきた幸村はヘラッと笑い、それが新鮮に思えて小さく笑った。
四人で食事を始めたのは良いのだが、やはり両親相手だとついつい子供っぽい自分が出てしまって時々しまったと
幸村の様子を窺い見るのだが気にしていないのか父と話をしていた。
食事を終えると母はまた疲れたのか眠くなったと寝室の方へと戻っていってしまった。
そして片づけをすませたは幸村にそっと話しかける。
「幸村様、そろそろ…」
「良いのですか?何なら私だけお暇させて頂くが…」
「何を仰る!幸村殿も泊まっていきなされ」
「いいえ父上、私も今日は家に帰らせて頂きますよ」
「なんじゃ、泊まるのではなかったのか?」
そう言う父に「母上も大丈夫そうですし」と言って返し、幸村を振り返って「帰りましょうか」と促した。
幸村はそれを受けて頷き、父に暇の挨拶をして頭を下げる。
父と言えば少し拗ねた表情をしながらも「送ろう」と門まで三人で歩いた。
「それでは父上、母上にもまた来ますと言っておいて下さい」
「そうじゃな…今度来る時は孫も一緒だと嬉しいのう。のう、幸村殿?」
「あ、はい。…え?いやそのっ……」
「〜〜それでは失礼します!」
「!幸村殿!いつでも…いらっしゃいね」
泊まると思っていた私たちが帰ろうとしているのを知って起きてきたのだろう、母が息をきらして見送りに出てきてくれた。
気遣うように父が身体を支え、そんな二人に私と幸村殿は手を振って背を向けた。
そうして歩き始めた二人だが、久々に両親に会え、懐かしい家にも立ち寄ったからかの気分は高揚しており
鼻歌を歌いながら幸村の数歩前を歩いていた。
そんな私が我に返ったのは後ろで笑い声がしたからで。
「殿、ご機嫌ですね。ご実家ではゆっくりできましたか」
「あ…す、すみません。久しぶりだったのでつい…」
「いいえ、でも本当に良かったのですか?泊まってきても良かったのだよ?」
「せっかく幸村様が迎えに来て下さったのですもの」
振り返って後ろを向きながら話していると歩く速さが落ち、幸村が隣に並んだのでも前へむき直す。
そして今になって文の事を思い出したは「そうだ」と声を上げ口元に手を当てて幸村を見上げた。
「そう言えば、幸村様宛に文を送ったのを忘れていました」
「文?」
「はい。きっと家に届いているでしょうが、もう気にしないで下さい」
「気にしなくても良い内容なのかい?」
「はい」
ここは文の内容を伝えるべきなのだろうが、内容が「泊まっていきます」というものだったので、ここでそれを言ってしまうと
また幸村が気にしてしまうと思い、は差し当たりのないように文の中身をはぐらかした。
幸村もそれ以上は聞いてこず、二人は会話もなく歩き続けているのだが気まずい雰囲気でもなかった。
なかったが、何か話した方がいいのかなという気になってきて、は何か話題を探し始めた。
ちらっと幸村の様子を窺うと、普通に横を見ただけでは幸村の肩だけしか見えず、改めて幸村の背の高さを知った。
そういえば――そう考えついた時、手の甲に何かが触れた。それは隣を歩く幸村の手の甲で。
「すっすみません!」
「こ、こちらこそ、すみませんっ」
慌てて下げていた手を肩の当たりまで引き上げた二人の口からは何が悪いわけでもないのに
謝罪の言葉がとっさに飛び出ていた。
そうしては上がっていた手をゆっくりと、できるだけ自然に降ろすと「そういえば」と幸村が口を開いた。
「二人で町を歩くのは初めてですね」
「あ…私も思っていました。そういえば初めてですよね」
「そうですよね」
「初めてですね」
だからなんじゃ!と父の突っ込みが聞こえてきそうだが、話をどう続けて良いのかには分からず、そして
気の利いた続け方が出来なかった。それは幸村も同じようで、結局会話が続かずにまた足音だけが聞こえるようになった。
そしてまた手の甲が触れあう。
「………」
「………」
どきっとした。幸村もそうなったのが分かる。
幸村は手との顔を交互に視線をやっていて、同じようにもそうしていた。
そうしている内に幸村の指がの人差し指と中指を掴んだ。
そのまま今度はが幸村の小指を掴む。
二人の手は徐々にずらされていって、ようやく手全体で互いのを掴み、繋がれた。
いや、繋がれるところであった。
「ちょっとそこのお兄さん」
「えっ!?はいっすみません」
「やっぱり、いつぞやのあなたネ!」
「あなたは…呉服屋のご主人」
なんだか聞き覚えのある声の主が幸村殿を呼び止めたので、私たちの手は繋がれる事はなかった。
それにしても……この声って。
「アラ?もしかしてそちらが奥方様かし――ら!?」
「こ、こんばんはお兄さん……?」
「?殿もお知り合いですか?」
「幸村様こそ……」
三人は状況を理解するためにしばらく固まったままだったが、先に合点がいったのは呉服屋の主人だった。
「あー、なるほどネェ…」と頷いてお兄さんは私たちに説明を始めた。
説明を聞いた私たちは、互いに同じ店にお世話になっていた事が分かり、顔を見合わせ驚くばかり。
「いやぁびっくりだな、これは。もう、なんだよお前ら」
「お兄さん、口調が」
「あらヤダ。それにしても、あなたが奥方だったとはネ…お嫁に行けないわよって言っちゃったじゃない」
「ええ、言われちゃいましたよね」
「だって仕方ないじゃない」
裁縫、下手なんですもの。
相変わらずズバッと言ってくるこの人には乾いた笑みを返す事しか出来ずにいたのだが、そのお兄さんが
そう言えば、と思い出したように私に向かって話し始めた。
「奥さん、裁縫下手ねェって言ったらこの人、何て言ったと思う?」
「わっ、ちょっとご主人!!」
「なによ、いい話なんだから良いでしょう?」
「?」
幸村殿とお兄さんが何やら話し込んでいたが何のことかは分からず、ついに内容も教えては貰えなかった。
別れ際、お兄さんが「裁縫、どうするの?習いに来る?」と申し出てくれたのに対して私は断りの台詞を返し、
その言葉にお兄さんは「そうね、それが一番良いわネ」と笑って帰っていった。
「夫婦共にこれからもご贔屓に」という言葉を残して。
「裁縫、義母上に習うのかい?」
「ええ、今日は約束してきました」
「そうか。それは義母上も喜ばれる事だろう」
「度々、実家に行く事になりますが…宜しいですか……?」
あまり家を空けない方が良いのであれば、義母上に習おうとは考えた。
でもそれは幸村の一言で実行される事はなくなった。
「ならば、また迎えに行きます」
そう微笑んでくれたかと思うとはっとしたように焦って私の気持ちを伺い始めた幸村様に
私は返事をして帰宅を勧めた。
「ご、ご迷惑でしたら……」
「いいえ!嬉しいです」
「殿…」
「また、一緒に帰りましょうね幸村様」
この時もきっと嬉しさで気の緩んだ表情をしていただろう。
それを知るのは幸村様だけ――
「――殿!」
「はい?」
「とてもよく…お似合いです」
「幸村様……?」
「さ、さあ!帰りましょう」
「――はいっ」
ありがとうございます。
きっと照れている、あなたの背中にそっと囁いた。
繋がれなかったこの手の代わりに
言葉で私たちは繋がってゆく
あなたがくれる温かい言葉に
約束という名で繋がる未来に
私はまだ光しか見えていなかった
光のすぐ傍には闇があるというのに
幸村side→
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○
ようやく5話目upです。
それにしても……よ く オ リ キャ ラ が 出 張 る 小 説 だ な !
ヲイ!って感じですよね(笑)…笑うしかない。
そして今回も長い!一番長い!
端折るとか、途中で切るとか。できませんでした!すみません!
引き続き幸村sideもお楽しみ下さいませ。
++ 2006/8/27 美空 ++