「幸村様〜おっはようございます」
「………ああ」
「おりょ?朝から暗いねー」
「〜〜お前な…!ちゃんと謝るんだぞ?!」
「誰に?」
階段の途中 [ 4.5 ] ―― 幸村side ――
ああ、様に?
なんて、すっかり忘れていた様子でいるくのいちに私は怒る気も失せてため息をついた。
着物は…やはり私が買おう。
くのいちからと言って渡しておけば丸く収まる、か。
私はそう考えて一人納得したように頷いた。
問題は…どこで買うかということと……
「佐助」
「はい」
スッと音も立てずに現れた佐助は忍びの姿ではなく、いつも街に出かけている時の格好をしていて。
丁度良いか、と思いつつも、とても私的な事なので少し切り出しにくくもあった。
「街へ行くのか?」
「はい。いつものように視察に行って参ります」
「どうせ趣味の堪能もあるんでしょ?」
「まぁ、そうですね。いけませんか?」
「べっつにー」
顔では笑顔を保ちながらも、佐助の言葉はどこか冷ややかで、くのいちの方も同じくらい冷えていた。
私が咳払いを一つしてみせると、くのいちは「はーい」と腕を頭の後ろで組み、この場から離れる。
これで佐助に頼みやすい状況が完成したのだが。
「佐助、頼みがある。…私的な事なのだが」
「なんなりと」
「良い着物屋を…探してほしい」
「店…でよろしいのですか?着物ではなく」
「ああ」
分かりました、とよくできた彼は理由など聞かずに頷き、街へと繰り出していった。
よくできた奴だから……分かっただろうな。贈るものだと。
恥ずかしさを隠すため頭を少し掻き、鍛錬を始めようと槍に手をかけた所で後ろから声がかかった。
「これから鍛錬か?幸村」
「高坂殿!ええ、まぁ…」
「私もそう思ってな…手合わせしないかという提案を持ってきたんだ」
「高坂殿が私と…ですか?――喜んで」
「では、頼む」
高坂殿が槍を構えるのを見ると、私も手にしていた槍の切っ先をスッと上げた。
互いに互いの目を見て動かない。高坂殿が右へと一歩踏み出すと、私も右へと寄り
距離も角度も全く変わらない。私が半歩前へ進んだが高坂殿に動きはなく、更にもう半歩進めたが
まだ動かない。が、今度は高坂殿が動き、段々と間合いが縮まってきて。
ほんの一瞬、槍の先が触れたのが合図だった。
高坂殿が素早く槍を突き出し、私はそれを柄を使って力の向きを変える。
そして横なぎに斬りつけるがヒラリとかわされ空を斬った。
攻撃を避け、時には受け…こちらの攻撃もかわされては受け止められる。
長い間決着がつかずに打ち合っていたのだが、激しい動きに袖をたくし上げていた紐が解けてしまい、袖がおりてきて。
あっと思った瞬間、その袖が切り裂かれた。
「っと、すまぬ!」
「いえ…」
大丈夫です、と続けるつもりが息切れが激しくて声にすることができなかった。
それは高坂殿も同じようで、しばらくは互いの荒い息づかいしか聞こえてこなかったが
大分落ち着いたのか、高坂殿が先ほどと同じように詫びの言葉をかけてきた。
「す…まぬ。斬るつもりはなかったのだが……」
「平気…ですよ。気にしませんので」
「そ、そうか?」
そんな会話をして思い出した。彼女……殿の事を。
彼女も言ったな…「気にしません」と。
なんだか小さい笑いがこみ上げてきて、そんな私を不審に思ったのか高坂殿が「本当に大丈夫か?」と
聞いてきた始末。大丈夫ですともう一度答え、汗を流すために高坂殿と共に井戸へと向かった。
佐助が帰ってきたのは夕方で、教えてもらった反物屋を記憶していると
「明日。明日行った方が良いですよ」
「…そうなのか?」
「ええ。それも朝の内に行っておくと良いかもしれませんね」
「?」
よく分からなかったが、佐助がそう言うのだ。きっと何かあるのだろう。
この常に穏やかな表情を崩さない佐助は人助けをよくするのだが(本人は趣味だと言っている)
だからと言って優しいのか、と聞かれれば即答する事が出来ない。
優しいのは自軍にだけ。そう、佐助の人助けはすべて「自軍」であるか「敵軍」であるかによって区別されている。
佐助とは、そういう奴だ。
そんな佐助が今日人助けを働いた相手が殿であることを知るのは夕餉の席での話だ。
「あの…幸村様。少しお聞きしたいのですが……」
躊躇いがちにかけられた声からは、彼女の気遣いが伺えて。
彼女から何かを尋ねられるということがあまりなかったので驚いてしまったのだが、すぐに笑みに変えて
「なんだい?」と先を促した。
「実は今日、街で私を助けてくれた人がいたのですが、どうやら幸村様のお知り合いのようで……」
そう言った殿はどう説明しようかと言葉を選んでいるようだったが、私は“知り合い”という言葉よりも
“助けてくれた”という言葉に反応した。助けられたとは……
「何かあったのですか?」
「あ、いえ、人混みに押されて倒れそうになったというだけで」
殿は手を顔の前で大きく振って大したことではないと伝えている。
怪我はなかったかと尋ねると「はい」としっかりした返事が返ってきたので私はほっと胸をなで下ろした。
……彼女の話はこんな事ではなかったような。
「…お前達、話がずれておるようだが?」
父上が呆れたように話を戻せと言ってくる。
そう、たしか殿の話は――
「幸村の知り合いで、それは誰か、というお話ですよね?」
「そ、そうです」
「それはどんな人だったのだ?幸村の知り合いなら私も知っておるかもしれんしな」
「穏やかに笑う方で……」
彼女の説明を何も言わず聞いていたのだが、殿は何か言いかけて言葉を飲んだように見えた。
私の知り合いで、穏やかな者?
「その…人助けが趣味だと彼は言っていました」
「「 ぷっ 」」
「え?」
思わず吹き出してしまった私は、同じく吹き出した父上と顔を見合わせて肩を振るわせた。
人助けが趣味などと言う知り合いは一人しか思い当たらない。
父上も同じ考えなのか、咳払いをして笑いを収め「それはあいつだろう」と私に聞いてくる。
殿が聞いたのは私に、だから。そんな配慮があったのかは分からないが、彼の名前を殿に教えたのは私だった。
「そやつの名は、猿飛佐助」
「猿飛…佐助?」
「ええ。真田家付きの忍です」
「忍…ですか。なるほど……」
忍という事をどこで納得したのかは分からないが、殿は小さく首を上下させている。
夕方会った時、佐助は何も言っていなかったので、実際彼が殿に何をしたのかは把握できていない。
殿に会ったと、一言あってもおかしくはないのだが……
その事に小さな引っかかりを無意識に感じながらも、それに気付く事なく私は明日の予定を頭の中で組み立てていたのだった。
明日は佐助の言っていた反物屋に行こう。
そう予定を立てた次の日。
朝、家を出る時いつものように送り出してくれた殿がなんだか落ち着かない様子だったので問うてみた。
「どうされたのです?」
「あのっ!その…軍内で笑われたりされたら…申し訳ありません」
「?何の話ですか?」
「――い、いえ。やっぱり良いです。…気を付けていってらっしゃいませ」
彼女にしてはめずらしく言葉を濁した形で送り出された私は、結局何の事を言っているのかを聞くことができずに街に出て、
佐助の言っていた反物屋を探したのだが、まだ店自体が開いてはいなかった。
反物屋だから…昼前に開くのだろうか。
とりあえず先にお館様の所へ行き、時間を見てまた来ようと決めた私は一度その店の前を離れた。
「あれ?殿、着物は買わなかったのですか?」
「店がまだ開いていなかった」
「なるほど」
「なーんだ。結局幸村様が買うのね」
ふーん、と話に割って入り、顔を覗き込んできたくのいちに「お前が買わないからだろ」と軽く睨みつけたのだが
くのいちは気にも留めないで「嘘ばっかり〜」と笑った。
「幸村様が買いたかっただけでしょ?」
「…え?」
「愛しの奥方様に、幸村様が、買ってあげたいんでしょ?」
「私は別にっ――」
そう反論して「しまった」と思ったが、もう言葉は彼女に届いてしまっていて…遅かった。
昨日のように含みのある笑みを浮かべたくのいちだが、何も言ってはこなかった。
…その事が反論の余地をあたえなかったので押し黙るしかなく、だが押し黙ったせいでくのいちの言葉が
頭の中を反響していて私は戸惑いを覚えた。
『買ってあげたいんでしょ?』
「 殿 」
「にゃはは〜幸村様ってば顔が――」
「ま、街に出てくる!!」
言われなくても分かっている。
これだけ頬が熱いのだから――顔が赤くなっているということぐらい。
こんな顔を他の人に見られたくなくて、俯きながら早足に街へと繰り出した。
「ここだ…」
「いらっしゃ――あなた大丈夫?」
「急いできたからですっ」
店の男性(?)にも赤面を指摘されそうになり、つい声を張り上げてしまった。
そんな私に彼は「ま、アタシは買ってさえくれれば病人だろうとそうでなかろうと良いんだけどネ」とそろばんを鳴らした。
私は客として店にある反物を見回していたのだが、これは…頼んで着物を作ってもらうべきだろうか?
それともこのまま買って帰り、殿が自由に作れるようにするべきなのか……。
少し考え込むように顎に手を当てた時だった。
「あら?あなた、裾が裂けていたのネ」
「え?ああ、そう裂けている――?」
「これはあなたが自分で縫った……わけではないようネ」
昨日斬られた着物が繕われていたことに今気付き驚いている様子に店の主人は肩をすくめた。
これは殿が…?
いつ知ったのだろうか。いや、いつ縫っていたのだろうか。
朝、様子がおかしかったのはこの事だったのだな……
「笑われたら申し訳ありません…」と言っていた彼女が思い出され、記憶の中の彼女と縫われていた袖を交互に見た。
縫い筋から、得意ではないことが見て取れ……私の胸を占めたのは、じんと痺れるような嬉しさだった。
それは身体全体へと広がり、心を温めた。
そのせいなのか。隣で店の主人がぽつりと漏らした言葉に過剰反応した私は声を荒げ
「本職としては気になる縫い方だわ……あなたの奥さんは裁縫が下手なようネ」
「彼女はっ…できた方です!あなたがどう思うのかは勝手ですが、私には十分で――っ!」
我に返り口元を手で覆った。
私は何を…これではまるで私が――
「良いわねぇこのご時世に愛ある夫婦で」
「いや、その…――ご主人、それは…?」
「あぁこれ?昨日完成したばかりなのよ!良いでしょう?」
立てかけられた淡い桜色の着物に目を奪われた。
そう、着物を買うにあたって問題は二つあった。
一つは良い店。これは佐助によって解消されたが、二つ目の問題が残っていたのだ。
二つ目の問題、それは殿の好みだ。
色や模様の好みはまだ結婚して間もない私には全然分からないものであり、買うのは良いが
物によっては着てもらえないかもしれないのだ。
「これを…売っては頂けまいか」
確かに私は彼女の好みを把握してはいない。
ただ……似合うと思ったから。
売って欲しいと主人に伝えると、彼は何か問題があるのか考え込み始めて。
「売っても良いんだけど…見せたい人もいるのよネー……いや」
良いわ、売りましょう!
どこか吹っ切れたような彼は「買ってくれるお客様が一番ヨ」と笑いながらそろばんを弾き始めた。
こういうのを商売魂というのだろう。「見せたい人」には申し訳ないが……
こうして手に入れた着物を見せろと、くのいちが言ってきたが取り合わず、
私は早々に自宅へと引きあげてきた。
自宅に帰ったのは良いが、この目立つ箱をどう説明しようか…玄関先で渡すのも何だかな…。
あれこれ考えていたのだが、自宅は静かなものだった。
「ただいま」
いつもなら迎えに出てきてくれるはずの殿の姿はなく、私は少し気が抜けてしまった。
どこかへ出かけているのだろうか。
玄関先で箱の事を聞かれることはなくなったのでホッとしたのだが…それ以上に落胆している自分が居た。
『お帰りなさいませ』
そう言って微笑む彼女が鮮明に脳裏へ思い出される。
そんな頭で庭の花が綺麗だなと思っていた所に母上の声が耳へ届いたので、私は声の方へと顔を向けた。
「お帰りなさい、幸村」
「ただ今戻りました」
「今日は早いのね。…荷物も多いようですし」
「え…あ、いやこれは……」
にこにこと笑っている母上は一目見てどこまで分かったのやら。
気恥ずかしくなり、いちど咳払いをして違う話を持ち出した。
「庭が見事ですね。庭師の腕が良いのでしょうか」
「あら…幸村は知らないのですか?」
「?何をです?」
「これは毎日殿が手入れをなさっているのですよ」
私は自分の耳を疑った。
母上が言うには草引きを始めとする庭の手入れ、家の掃除、洗濯、炊事…全てを手際よくこなしてくれているようで。
「動いていないと気の済まない方のようね」
「殿が…?」
「ああ、ほらご覧なさい幸村。あの咲きかけの花も殿が植えてくださったものですよ」
母上が指さした方に目を向けると、悪目立ちせず、それでいて陽がしっかり当たる場所に花が植えられていて、
それは確かに咲きかけていて、蕾がほころびかけていた。
以前、義父上に殿を「しとやか」と称して話すと随分驚かれていた理由が…今ようやく分かった。
母上は「咎めないであげてくださいね」と心配そうに言っていたが、どこに咎める理由があるというのだ。
私の中で彼女の見方が変わってきているのが分かる。そしてそれは悪い方へではなく、良い方へ良い方へ。
私はここに来てようやく殿の事をもっと知りたいと思うようになった。
彼女ともっと話をしていこうと。
…とはいっても、殿は今隣には居なくて。
帰りを待つというのはこういう感じなのかと思いながら、彼女もこういう気持ちで待ってくれているのだろうかと
人の気持ちばかりが気になり始め、着物の事もあってか、ソワソワしてしまう。
そうした気持ちを落ち着かせるために私は書物に目を通し始めた。
どのくらいたっただろうか。
廊下から随分慌てた足音が聞こえてきたかと思うと、勢いよく襖が開かれた。
驚いて目を向けると、そこには顔を青くした殿が立っていて、思い切り頭を下げてきた。
「す…すみません!お迎えできずに……」
「ああ、構わないよ」
今日は帰りが早かったしね。
そんなこと気にしなくても良いと言おうとしたのだが、少し寂しく感じたなと思ってしまい
恥ずかしくて彼女から素早く視線を外して書物へと戻した。
書物の内容など、頭に入ってくるわけがない。
今私の頭の中は着物や何やらと、殿に関することばかりであった。
そんな私に、どうしたのか殿がいきなり謝罪の言葉と共に頭を下げてきたのだ。
これには私も慌ててしまい。
「ど、どうしたのです殿?!迎えの事など、そのように気になさる事では…」
「その事もありますが……」
着物の事も…と彼女は続けたので私は驚いた。
着物を買ってきた事を知っていたのか!?
「誰からそれを!?」
「佐助さんが、幸村殿の様子が変だったと…私が…縫い物が下手なばかりに笑われたのではないかと…」
殿はそこまで言って再び頭を下げてきた。
縫い物?笑われる?
…もしかして、彼女はこれの事を言っているのだろうか?
そうだと分かると私はホッと胸をなで下ろした。
そして一向に顔を上げようとしない殿に声をかける。
「謝られてはこまりますよ殿。私は…」
一度、縫ってもらった袖に視線を落とした私は、反物屋で初めて知った時の気持ちを思いだしていた。
「私は…その、嬉しかったのですから」
ありがとうございます。
正直な気持ちを彼女に伝えると、お礼を言われると思っていなかったのだろうか、とても驚きながら
でも…と続けた。
「様子が変だったと…佐助さんから」
今日もまた街で佐助と出会ったのだろうか。
…佐助と。
私は妙な引っかかりを再び覚え、今度はそれをしっかりと自覚した。
ああ、そうか。気になるんだな私は……佐助と殿の事が。
「これを…殿、あなたに」
着物の入った木箱を殿の前に差しだすと、殿は遠慮がちにその蓋を持ち上げ、
そして驚いたように手を差しのばした。
彼女の目が次第に大きく開かれ、私の目をとらえて問う。
「着物…!?これはっ……」
どうしたのかと、目一杯驚いて問うてくる彼女に説明する。
くのいちから、この前の謝罪に、と。
確かに、そう言うつもりだったのに私は「くのいち……」と言いかけて、考えていた説明とは
全く意味の異なる事を話していた。
「くのいちが傷をつけてしまいましたから…」
「色の好みが分からずこまったのですけれど」
「似合うと…思いまして」
この説明では、私が殿のために買ってきたのだと言っているようなもので――
『買ってあげたいんでしょ?』
違わない。
殿のために買いたかった。
彼女の――
「ちょっ…殿!頭を上げてください!」
ありがとうございます…!と今にも泣き出してしまいそうな声で彼女は言う。
それは自惚れでもなんでもなくて、本当に喜んでくれているようだった。
彼女の喜びが、私の喜びを呼び覚ます。
こんなに熱い想いは初めてだった。
そう、確かに初めてだった。
「それを着て笑ってくだされば…それで十分です」
殿。
あなたのために買いたかった。
あなたの……笑った顔が見たかった。
彼女がゆっくりと上げた顔は、泣きそうな微笑みだった。
そんな彼女の後ろで、咲きかけだった庭の花が開ききっていて、
月の祝福を受けているかのように照らされていた。
笑ってください
あなたのことが、好きだから―――
遅咲きの、恋の花が今開く
NEXT→
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4.5話、幸村sideでした。。
高坂昌信さんも出してみた私はミラージュ読者です(聞いてない)
高坂さんを若々しく書きましたが…ホントは幸村とは40歳違い?;
しかも、勝手に武器を槍にさせて頂きました;す、すみません……
さて、ようやく少し進展しました。
■あてにならない次回予告
佐助のアタックに、夜の忍耐。幸村の苦難の日々が始まる?
そして、くのいちとの誤解はいつ解けるのか!?
自分の中の花が咲いていることに気付いた夢主。
気付いたは良いが、それは幸村に?それとも佐助に――――?
です。多分。。
++ 2006/5/27/ 美空 ++