「我と思う者は前に出よ!真田幸村、お相手つかまつる!」



馬の足音・鳴き声。刃がぶつかり合う音。
敵の声、味方の声、自分の声。

戦場

生と死が隣り合わせにある場所。
そんな中、あなたの声が聞こえます。



『ご武運を……』




私はまだ死ぬわけにはいかない。





 階段の途中 [ 6.5 ]   ―― 幸村side ――






「調子が良いようじゃの、幸村」
「父上」
「なかなか幸先が良い。気は抜けんがな」
「ええ、勿論です」


火を囲って昼食を取る。
父に続いて義父上も椅子に着座した。
戦が始まって数日。出陣前は状況が厳しいと聞き及んでいたが、いざ出てみればそれほどでもない気がする。
とは言っても気は抜けない。私は碗に入っていた物を一気にかき込んだ。


「やはり、幸村の力の源は殿かのぅ」
「幸村殿、を女にしてやってくれましたかな」
「〜〜げほっ。何を申されますかいきなり!」
「なんじゃ、まだか幸村」
「まだって……」


場所を移りたい。
そうは思ったがこの二人から逃れられるわけがなく、私は極力平常心を装うとした。
そしてふと彼女の言葉を思い出す。


『戦の前におなごが傍にいると縁起が悪いとお聞きしましたので』


彼女はそう言いつつもどうして良いか分からなそうだった。
そんな話は聞いた事がなく、むしろ逆の話をよく耳にしていたから…しかしあれは危なかったと思う。
これからは言動にも注意しなければ…そう思いつつも私はあの手のぬくもりが忘れられずにいた。
これぐらいならと、布団から出ていた手を己ので包み、そのまま寝て――


「…幸村殿、やはり何かあったのではないのですか?んー?」
「ふむ、そのような顔をしておるな」
「なっ…何もありませんよ!誓って!」
「誓われても困るんじゃ幸村殿!」






「なっさけなーい」
「五月蠅い」
「いやしかし殿は忍耐力がお有りで」
「さっさと打ち明けて襲っちゃえば良いのに」
「くのいち!物事には順序というものがあるのだ」


政略結婚に順序もへったくれもないでしょ、と揚げ足をとってくるくのいちに
佐助が「一本とられましたね」と笑う。この二人はこういう時に限って仲が良い。
特に、話すつもりはなかったのだが、まずは誤解を解かなければと言葉が漏れたのに対し、
二人は「誤解?」と喰いついてきた。


殿が私とそなたの仲を勘違いしておられる…そうだ」
「あたし?ふーん」
「それはまた妙ですね」
「これの事〜?」


くのいちが取り出したのは匂い袋で、私にはくのいちの言いたい事が分からなかった。
指先で小さく振られたその袋はほのかな香りを放って……香り。


「まさか…」
「そゆこと。たまに幸村様のにも…ね」
「あなた馬鹿でしょう」
「あたしは我慢なんてしないよ。幸村様の隣はあたしの場所なんだからね!」


くのいちはそう言い残して姿を隠したので、残った私たちはやれやれと息をつく。
あの人の言う隣と殿のおられる隣とでは意味が違います。
佐助はそう言いながら更に続ける。


「忍がいて良いのは隣じゃありません。後ろです」
「佐助」
「殿。こんな戦は速く終わらせましょう」
「そうだな…」


佐助は何が不快だったのか、少し苛立ったようにそう言い、同じように姿を消した。
戦…速く終われば良いが。
私も立ち上がって空を見上げた。
青々とした空は…とても穏やかに見えた。




殿から文が届いたのは、それから数日後の事だった。





「殿!奥方様より文を預かって参りました」
殿から?」


どうしたのかと思い、封を開けて中身を読んでいくが大事ではないように見受けられた。
ただ、最後の一言がなぜか頭に引っかかって。


 速く戦が終わって 無事に速くお帰りになることを お待ちしております


「速く、速く」とは……どうしたものか。
確かに私も戦が速く終わって、できるかぎり速く帰りたいものだが…それとはどこか意味が違うような気がした。
好いた夫婦であれば何とも思わなかっただろうが…何かあったのか?情けない話だがそういう意味にとれてしまった。
考えすぎだと思い直すが、一度出た疑問は簡単には拭えなくて…私は結局佐助に頼む事にした。


帰ってきた佐助の報告を聞き、自分の思い過ごしだと知るとなんだか気恥ずかしくなる。
佐助にはすまない事をしたと、そう述べると佐助は首を振って静かに言う。
「速く戦を終わらせましょう」と。
あいつがそう言ったのは二度目だった。



殿。
私はこの時佐助が本当の事を報告しなかった事について…今でも怒るべきなのか、辛い役をさせたと労うべきなのか
分かりかねます。
ただ、もし聞いていたとしても私は戦の途中で、あなたの元へ駆けつけるという事はなかったでしょう。
それなのに…傍に居られなかった事を悔やみ、あの時戦でなければ…と、そう思わずにはいられません。


話を聞いたのは、戦が終わってすぐだった。


「殿。速くご帰宅を。殿の母上が……お亡くなりになりました」
「亡く……?」
「お速く。私は殿たちにもお伝えして参ります故」


佐助が目の前から消えると、私はようやく我に返り愛馬を呼んだ。
ここから全速で帰ったとして……どのくらいかかる?
いや、考えるよりも動け、だ!
すぐさま馬に飛び乗り駆け出すと、ようやく気持ちに焦りが出始めた。


 『娘をお願い致します』


婚礼の時、あの方はそう言って頭を下げられた。


 『いつでもいらっしゃいね』


ついこの間……そう言われて別れた所だった。


あの義母上が死――?
にわかに信じられなかった。あんなに元気そうだったのに…!
殿は、大丈夫だろうか。



「速くっ…!」



やけに馬が遅く感じ、走っても走っても道はまだまだ続いていた。
気持ちばかりがはやって、ようやくそれに身体が追いついたと思うと家の門が見えた。
馬から飛ぶようにして降り、玄関へと向かおうとするが、庭から回った方が速いと思い直し向きを変える。
カチャカチャと鎧を鳴らしながら急ぐと、庭先に殿の姿が見えた。
私は彼女の名前を叫ぶ。
すると私に気付いた殿は立ち上がり一礼して言った。お帰りなさいませ、と。
私はどこか苛立ちを覚えた。


「義母上が亡くなられたとは誠ですかっ」
「佐助さんから…お聞きに?」
殿!」


怒鳴っても仕方がないと思いながらも、そんな事が聞きたいのではないという気持ちが抑えられなかった。
「参ってあげて頂けますか」と小さく言う彼女に、亡くなったのは本当なのだと分かる。
私は頭を押さえた。なぜ……なぜ。


「病が治りきらず…そのまま」


彼女はそう原因を述べたが、私がこの時思っていたのはなぜもっと速く知らせてくれなかったのかという事で。
だがその言葉を口にはしなかった。
それは彼女の配慮だと分かっていたから。
知らされても帰る事などできない事ぐらい、自分にも容易に想像がついたから。
私は「なぜ」の言葉を飲み込んで相づちを打った。


「そうですか…最期のお言葉はなんと…」
「それが…何も。母はただ笑って……」


穏やかな最期でした。

彼女はそう言って俯いた。
笑って…逝かれたのか。義母上は。
そういえば義母上はよく笑っておられる方だった……
思い出していると殿はしゃがみ込んで、花を植えていたのであろう、続きを再開しはじめながら私に呟いた。


「私は親不孝者です。母が死んだ時も…葬儀の時も。今でさえ泣けないんです」


それは独り言のようで、でも確かに私に訴えていた。
彼女は更に続ける。
私は駆けられる言葉が見つからなかった。


「いろんな方に心配されて…大丈夫ですって笑えるんです」

「…あの日、気付いてあげるべきだったんです。母は何度も寝起きを繰り返していたのに……」

「傍に…居てあげれば良かった。…もう遅いですよね。何を言っても。もう遅……」


彼女の横顔に、涙が一筋流れるのが見えた。
同時に彼女は背を向け、見ないでくれと訴える。
小さな背中だった。
母の死というのを一人で背負わすには小さすぎた。
自分の無力さが情けなくて、殿の背が悲しくて…私は後ろで膝をつき、彼女を振りかえさせて抱きしめた。


「見ません。見ませんから……」

「傍にいられず…すまなかった」


殿は私の名を呼び、声を上げて泣いた。
それは子供の様で……でも胸に響く。
彼女が私の胸を叩く。その強くもなく弱くもない力が響き、私の目頭を熱くした。
私は抱きしめる手に力を込める。


「母上が死んじゃっ…最期だって何も言ってくれなかった!ただ笑うだけで…」


声を聞かせて欲しかった
名前を呼んで欲しかった
裁縫の約束…なによりも、自分は母に何もしてあげられなかったと、彼女は叫んだ。


その後はもう言葉にならないのか、私の腰に腕を回し、しがみつくようにして涙を流し続けた殿を
同じように、何も声をかけられない私はだただた強く抱きしめていた。




この人を守る力が欲しい 言葉が欲しい

壊れそうな小さな身体を

愛という言葉だけで守れるのなら

あなたを一生守れるのに




「すみません。鎧、痛かったですよね……」
「いいえ。私の方こそ…みっともない姿をお見せしました」
「私は…あなたの支えになりたいと。そう…思っていますから」


赤い目。泣きはらした目。
新たに流れた涙はまるで、腫れを癒すかのように静かに流れた。
その目が私の視界から消えると、小さな声で彼女は言った。


「すみません…まだこのまま……このままで」


私は再度、彼女の背中に腕を回した。
もうなっていますと、あなたが言ったのは気のせいですか。
私の望みが聞かせたその言葉を…いつかはっきりと聞かせて下さい。





悲しみに
花が揺れて
水面が揺れて
月に映った忍の影も 揺れて消える
想いという名の月光を残して



その光を、私が言葉で遮る事になる
命令という 卑怯な言葉で




   NEXT→


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 何も知らない幸村sideはちょっと楽しげに。
 文…届くのかなぁと思いつつ、功名が辻で届けてた気がするのでそのまま。。

 別に、くの→真なわけでは……ないです。それらしい言動が多いですが;
 今回、両サイドに書き分けるにあたって、一番やりたかった事ができたので良かった。
 解釈の食い違いっていうんですかね。
 幸村…「なぜ」→「なぜもっと速く知らせてくれなかったのか」
 夢主…「なぜ」→「どうして義母が死ななければならないのか」→「病で」
 そういうのを書きたかったから、このような両サイド形式を始めたという…。あはは

 ■あてにならない次回予告

 母の死も、幸村となら乗り越えられると、元気を取り戻してきた彼女。
 …え?父が出仕していない?それはなぜ…?
 一方、幸村。  「命令してください」
 佐助本人に頼まれたからか、それとも自分の中の独占欲がそうさせたのか…
 命令という形で彼の思いを断ち切ってしまう……

 かな。。


 ++ 2006/12/3 美空 ++