[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
「おい、そういえば最近見かけないな」
「誰をだい?」
「煉に決まっているだろ」
最近いつも府庫で行われている勉強会の最中に、ふと絳攸が漏らした
煉という名に、絳攸の前に座っている劉輝がわずかながら反応を占めし、
初めて聞く名前に話が見えないでいる秀麗。
そんな三人を少し離れた位置で楸瑛は見ていた。
二人は勉強中ということで、必然的に絳攸の会話の相手は自分になってくる。
(何も知らない者の言葉とは恐ろしいね…)
知らないのだから、仕方のない話でもあるが。
楸瑛とて、何を知っているわけでもない。
だが、秀麗殿という奥方の登場、主上の彼女への想い、そして先ほどの微々たる反応……
これらをふまえると、聞かずとも二人の間に何があったかは歴然である。
…まぁ、絳攸に察しろと言う方が無理な話だが。
「仕事にでもいそしんでいるんじゃないかな」
楸瑛には適当なことを言ってこの場を収める事しかできなかった。
絳攸からはそんなわけがないと否定の言葉が返ってきたが。
水すくい
適当に言った楸瑛の言葉はあながち嘘でもなかった。
「……煉」
「………」
「おい、煉」
「はい?」
顔を書簡から離すと、理解不能だと言いたげに指先で仮面の上から額を叩いている上司と
こちらもまた困ったような表情を浮かべている上司が目に映った。
そういえば私の周りって上司ばかりだったな、なんて今更な事を考えているとまた上司が名前を呼ぶ。
「何をしている」
「…それってちょっと酷くないですか?仕事をしているように見えません?」
「煉君、最近ずっと真面目だからどうしたのかなって」
「やだな景侍郎まで!私はいつも真面目ですよ」
もはや二人はその言葉に返答さえもくれなかった。
……言いたいことは分かるんだ。
いつも決まった時間には来ず、格好も適当な時もあった私が、最近はちゃんと朝から晩まで仕事をしているのだから
二人とも気になってるんだよね。
「真面目になったんだから良いんじゃないですか?」
「急に居着かれても目障りなだけだ」
「そんな事言われたら私、泣いちゃいますよ」
黄尚書って酷い。
…なんて、目障りなのは私の仕事の遅さなんだろうって分かってるんだけどね。
それでも、わざとらしく口を膨らませながら書簡に筆をいれようとした所へ何かが飛んできて肩に当たった。
床に落ちたそれを拾うとそれは書庫の鍵で、指でつまんで目の前まで持ち上げる。
「少しは受けるなり避けるなりしたらどうだ」
「無理ですよそんなの。それでこの鍵は?」
「これを片づけてきて欲しいのですが」
「そういう事ですか…分かりました」
文官に無茶を言わないで欲しいなと思いつつ、景侍郎から書簡の山を受け取り
足下をふらふらさせながら室を出ようとすると、黄尚書がつかつかと目の前までやってきて更に上から書簡を乗せた。
腕、痛いんだけど……
「終わったらこれを府庫へ返してこい」
「嫌です」
まさか嫌、なんて言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。
黄尚書が目をみはった(ように感じる)。
景侍郎も同じで、驚いたように名前を呼んできた。
「……煉君?」
「………」
「嫌ですからね――――ぇえ」
そこまでする!?
黄尚書に背中を押され追い出された私は、閉じられた戸部の扉の前で呆然と立ちつくすしかなかった。
その後、押された時に少しこぼれ落ちた書簡を拾っていると静かに扉が開き、景侍郎が顔を出す。
彼は言った。気晴らしをしてきなさいって事ですよ、と。
言ってくれなきゃ分かりませんよ。
そう返すと、「言い聞かせます」と苦笑いしながら
「気持ちが仕事にむいたら帰ってきてくださいね」
…ねえ、そんなに甘くていいの?
いつ気持ちの切り替えができるか分からないのに。
変な上司。でも……あなた達は優しい。
道行く人が「手を貸そうか」と声をかけてくれるぐらい書簡が多くて足下をふらふらしながら
書庫室へと向かい、薄暗い書庫室に入る。
言われた物を片づけきってしまった私の手に残ったのは数冊の重い書物。
府庫へと持って行かなければならない……重い本。
私はその書物を片腕に抱きながら書庫室の扉を閉めた。
重いのは書物なんかじゃない。私の足取り、私の心。
それでも歩けば府庫に近づき、ついには扉の姿さえ現れる。
そっと扉に片手を当てるが、そこから腕が進まない。
これはどこの扉?どこへの扉…?
それはキィっと小さな音を立てて開かれた。
「……誰も居ない?」
あからさまにホッとした自分に苦笑する。
さっと府庫に足を踏み入れ、持ってきた書物を棚へと片していって……これは。
手に取った本は以前見かけた本。そう、あの部屋で。
「……どう…して」
ただあの部屋で見かけただけだった。
たまたま、こんなのを読んでいるんだって……そう思っただけ。
意外だったから本の題名を覚えていただけ……なのに。
後ろで足音がした。
「煉じゃないか。久し―――」
「…楸瑛殿……」
「…ここで会うのは久しぶりだね。もう…来ないのかと思ったよ」
「ちょっと…上司の命令でね」
楸瑛殿の手が私の顔へと伸びてきて指を濡らす。
あまりにも自然な仕草だったから私はされるがままに涙を全部拭ってもらった。
そんなに泣ける本なのかい?
彼は静かにそう聞いてくる。
「うん。すごく、ね」
「そう。私もいつか借りてみようかな」
「お勧め」
なんて馬鹿な会話なんだろう。楸瑛殿もきっとそう思っている。そして気付いている。
私は…いや、私たちは小さく笑い、みんなが戻ってくる前に府庫を出ていこうとしたんだけど。
後ろから久しぶりに聞く楸瑛殿の声が届いて…聞いてくるんだ。
「そんなに…会いたくないのかい?」
「……府庫に来ないのは……主上に会いたくないからじゃないよ」
「煉……」
「じゃあ私は仕事に戻るから」
会いたくないのは劉輝じゃない。
会いたくないわけがない。あの部屋のことを思い出すと涙がでるぐらい私はまだ―――
回廊の角を曲がった所で府庫の方から数人の話し声が聞こえてくる。
私たちには出ない、高い澄んだ声が劉輝の名を呼んでいる。
ねぇ、それは私が呼んでいた名前だよ。
もう……呼んじゃ駄目なんだね。
「劉輝……劉輝…」
私はずるずるとその場に座り込んで、また出そうになる涙を我慢した。
「なんだ、お前も勉強する気になったのか?」
「え?あぁ……絳攸はこの本を読んだかい?」
「無論だ」
「泣ける話なんだろう?」
「……馬鹿も休み休みにしろ」
「本当にね」
会話は成立しているが、意味を理解できなかった絳攸は眉をひそめたが
聞くのも面倒だったのか、探していた本を見つけると劉輝と秀麗の方へと歩いていった。
楸瑛も手にしていた本を開きながら後を追うと劉輝が「あ」と声を上げる。
あげたのは良いが、本の内容が今の自分に都合の悪いものだったのでそれ以上は何も言ってはこなかった。
「どうしたのよ」
「いや、なんでもないのだ」
「よし、始めるぞ」
楸瑛は更に数頁めくったあと呟いたのだが、三人に……ましてや回廊でうずくまっている
煉には届くはずもなく、その呟きは府庫の本に埋もれて消えた。
「…本当、馬鹿も休み休みにしたまえ」
政治の事について長々と書かれた本は、楸瑛によって静かに閉じられた。
『今上がついに女人と一夜を過ごした』
人々の気持ちなど関係なく、噂とは立つものである。
そしてその噂は煉の耳にも入ってきた。
また……噂で知るんだね。
うまくいってるんですね、主上。
あなたが幸せなら私はそれだけで幸せです。
紅貴妃様ってどの様なお方なんですか?
今度、お会いしたいな。
次、もし会うことがあればちゃんと言えるかな。
ちゃんと笑って、嘘だってばれないようにして………はは、駄目だね。
もう自分で嘘だって事を認めてるじゃないか。
お会いしたいだなんて
「白々しい」
あぁ今嫌な顔をしているんだろうな。
たまに楸瑛殿、絳攸殿とお茶をする場所で私は自嘲気味に笑い、庭を眺めていた。
会いたくない。紅貴妃にも邵可様にも。
会えば、何を言ってしまうか分からない。
府庫に行かないのも、所詮こんな理由だ。
馬鹿ばかしいと思うかもしれないけど、自分の醜さが恐ろしいんだ。
醜い。心の底のドロドロしたものが溢れてくる。
このまま…堕ちてゆくのかな。
深い深い、闇の中へ。
「煉!」
「どうかしたのか」
「!――――楸瑛殿に絳攸殿…」
胸を押さえてうずくまっていたからだろう。
二人が血相を変えて駆け寄ってくるのが分かる。
…闇の中に二つの手が見えた。
手をとっても良い?とれば二人も引きずり込んでしまうんじゃ……
二人の手が、私の肩に添えられた。
「おい、どこか悪いのか!?」
「とりあえずそこへ横になりなさい」
「も…大丈夫」
立ち上がろうとした私に二人は手を貸してくれた。
私は迷わずその手をとると、まるで引き上げるかのように軽々と立たせてくれたんだ。
「自分の体調も管理できんのかお前は!」
「二人が助けてくれたから…もう大丈夫だよ」
「は!?」
「……煉」
絳攸殿の怒鳴り声が懐かしくて心地よい。
何かを察したのか、楸瑛殿が心配そうな表情を私に向けていて、本当に大丈夫なのかい?と声をかけてくれる。
…何も私まで一緒に堕ちることはないんだよね。
手を放せば重いものだけが落ちてゆくのだから。
闇に堕ちそうだった私を引き上げてくれた二人の手が、そう教えてくれた。
この想いもまた、手を放しておけば知らない間になくなるのかもしれないね。
私は小さく笑った。
「楸瑛殿には心配ばかりかけている気がするよ」
「おい、俺の名前がなかったぞ」
「あれ?絳攸殿も心配してくれていたの?」
「~~やかましい!」
「あははは!ちょっと胸につかえていたものがあっただけだよ」
絳攸殿がそっぽを向く。
楸瑛殿の表情も笑みに変わり、ますます絳攸殿はこちらを向かなくなった。
まだ少し笑みを残した楸瑛殿は
「それで?つかえていたモノはなくなったかい?」
「…少しね。軽くなったよ」
「まだあるのか!なら飲め。そうすれば……完全に流れる」
私の返答にそっぽを向いていた絳攸殿が、持ってきていた湯飲みを私の前へ音をたてて置いた。
すると楸瑛殿までどこから取り出したのか、お茶を注ぎはじめる。
差しだされたお茶は良い香りをしていて、本当に胸のつかえを取ってくれそうだった。
ありがとう。そう言ってお茶に手を伸ばそうとして――――気付いた。
四人分のお茶の用意がしてある。あと一人……誰か来るのか。
いや、この人数に偶然会った私が含まれているはずがない。
だとすると………
「…あ、仕事に戻らないと」
「お前、本当に仕事をしていたんだな」
「失礼だなー絳攸殿。今は心を入れ替えて勤勉君だよ私は」
「…もう戻るのかい?」
「……うん。もう少し時間がほしい」
「そうか」
それ以上何も聞いてこない楸瑛殿に甘えて、「それじゃあ」とこの場を離れた。
後ろで絳攸殿が問いつめるような声を出していたが、楸瑛殿ならうまく説明してくれる。
私はといえば、戸部に戻った所でこの状態じゃきっと仕事をまかせてはもらえないだろう。
それでも私にはもう戸部にしか居場所がなかった。
嘘だと思うかもしれないけれど、あなたの幸せを祈っているのは本当なんだ。
あなたと貴妃の仲をどうこうしようなんて。これっぽっちも思っていないんだ。
ただ、やっぱり気持ちってそう簡単に切り替えられるものじゃないんだね。
手を放して落としたモノの代わりができるまで、心には穴があいたままなんだ。
だから……夜はやっぱり寂しい。
居場所が欲しくて、あなたの代わりが欲しくて。
私は初めて劉輝以外の人と夜を過ごした。
誰かの代わりなんて、居るはずがないのに。
無くさなきゃいけないものの無くし方が分からないのに
私の手からは大切なものがポロポロとこぼれ落ちてゆく
友情というかけがえのないものまで
→NEXT
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○
『短的夜幸福』の続きもの。
お相手は楸瑛でいきたいなーなんて。
絳攸夢を先にupするとか言っておいてこっちが先に…;
なんか暗いですね;
本当は暗いというかドロドロだったのですが、修正。。
++ 2006/10/22 美空 ++