「殿っはやくお逃げ下さい!」

「趙雲っ阿斗たちを頼んだぞ!…も居ないらしい。そちらも頼む」

「承知しましたっ」












 憎しみの果てにあるもの [3]   











「奥方様ーーっ阿斗様ーー!!」







必死で名前を呼び、二人の姿を探した。

も探さなければならないが、彼女が簡単に怪我をするようには思えず、

先に二人を捜索することにしたのだ。

敵が来るかもしれないが、構わず趙雲は辺りを探し歩く。

無事であるようにと願いながら。




そんな中、ふと視界の端に人影が映り、

そちらに視線を向けた時だ。

薄暗い中、一筋の光が弧を描いたのが見えた。

それが見慣れた大鎌だと認識できたのは、どんっと何かが地面に落ち、

次いで立っていた何かが崩れ落ちたのを見届けた後だった。

そして、今度は水音が響いた。

趙雲はゆっくりと馬を降り、近寄っていくと相手の輪郭がはっきりと見えてくる。

…見なくても予想はついていたが。




近くに井戸もあった。最後の水音はこれのようだ。

趙雲は嫌な予感を覚え、井戸の中をのぞき込む。

水に浮かんだ衣服。

それと隣の人物を見比べ、まさかと思っていた自分の考えが

当たったことを確信した。

震える唇を開いて名前を呼ぶ。











殿……」

「…趙雲殿、遅かったですね」









彼女を目でとらえると、返り血を浴びていて。

頬まで飛んでいる血液の紅がより一層、彼女の妖艶さを引き立てていた。






「それは…曹軍から助け出すのが、という意味ですか…
それとも、あなたからですか」

「…はやく自軍に追いつきましょう」

「ちょっと待ってくださいっ!」










問いには答えず、はやく自軍に戻る為に馬に歩み寄ろうとする

の細い腕を引きとめた。










「何を…今何をなさったのですっ」

「…その答えは貴殿の中でもうすでに出ているのでしょう?」










当たっていると、ちゃんと言った方が良いですか?


さらりと言い放たれたその言葉にカッとなり、

どうしようもない怒りがわき上がってきた。

趙雲の手はの肩を掴み、壁に押しつけた。









「なぜだっなぜ奥方様を――――っ」







怒りで敬語も忘れて怒鳴りつける。

その怒りを露わにした瞳で目の前の女を睨みつける。

それでも表情を変えず冷ややかに見返してくるの次の言葉を待った。








「足手まといになるので」

「なっそんな―――あの方は殿の奥方にあたる方だぞ?!」

「だから何だと言うのです」

「何って――――あなたは人間じゃないっ」








彼女は、笑った。








趙雲は言葉を発そうとしたが、子供の泣き声にそれを呑んだ。








「阿斗様を頼みますよ。お前も共に戻りなさい」






そう言ったかと思うと、さっと馬に乗り駆けていき、

近くの敵を引きつけていた。

あまりの出来事に気がつかなかったが、

の隊の一人―――たしか護衛のと言ったか。

そのがそばに居て「今の内にお早くっ」と急かす。

趙雲は泣いている阿斗に声をかけ、馬でこの場を離れた。

阿斗を抱えたまま曹軍の間を駆け抜け、時に応戦しながら

ひたすら自軍に追いつく為に

馬を走らせた。後ろに残してきたの心配など微塵も感じない。

先ほどの怒りからだろうか。

それとも彼女の強さをしっているからだろうか。

きっと前者の割合が大きいのだろう。






  も頼む」   





殿はそうも仰せられたのに。

初めて人に―――仲間に。嫌悪感を覚えた。

そんなことを考えながら、張飛の居る橋をわたりきったのだった。













 ◇ ◇ ◇      











「各隊、報告を」






水軍の応援のおかげで何とか曹軍から逃れることができた。

城に入ってから、船にバラバラに乗り込んでいた兵の確認時間をとり、

武将達を招集した。

どの隊も犠牲者は多く、痛々しい状況となっていた。

そんな報告の中、趙雲は劉備の前で膝をつき、

深々と頭を下げた。







「殿、申し訳ありませんっ!ご存じだとは思いますが、阿斗様は無事に
お助けすることが できましたが…しかし奥方様が――――」







後の言葉が続けられず、言葉を切った。






「…趙雲。そなたが無事で何よりだ。…夫人のことは……」






劉備は首を振り、本当にそなたが無事で良かったと再度告げた。

その優しさがたまらず、声を荒げた。







「しかし!私がもう少し速くついていれば奥方様は――――」

「自分を責めるでない」

「仇は俺がとってやるぜ!って、もうお前が倒しちまってるか」






張飛の言葉に趙雲の顔が曇った。










「私ですよ」









部屋の中を少し高めの、それでいて静かな声が通る。










「奥方様を殺したのは私です」








『仇をとる』と言った張飛にではなく、まっすぐ劉備を見据えて言った。

信じられないの一言に部屋内は静まりかえる。

その沈黙は、劉備の震えた声で破られた。









「今…そなたが殺したと申したか…?」

「私が、奥方様を井戸の中に」







その言葉を聞いてカッとなった劉備はの胸ぐらを掴んだ。

優しい光をもっていた瞳は、もはや怒りしか映し出していなかった。








「そなたは自分のやったことが分かっているのか?!」

「分かっています。足手まといの荷物を捨てたまで」

「っ――――お前はっ」

っ、てめぇええ!!」







劉備よりはやく張飛が殴りつけた。

華奢なの体が飛び、数回床に打ちながら転がるのを見て

武将達は息を呑んだ。

口の中が切れたらしく、口の端から血が流れ出ていて。

歯も欠けたようだ。…反射的に少し下がってしまったのと、

張飛が無意識に手加減してしまったおかげで

それだけですんだのだ。








「…手加減、しましたか」






手の甲で血を拭い、小さく呟く。

目は張飛を見やり、口元は笑みさえ浮かべている。

その仕草で更に怒りを煽られ、再度掴みかかろうとする義弟を制し、

劉備が怒鳴った。












「さがれっ出ていけ!そなたの顔などみたくないっっ!!」

「…仰せのままに」










顔の前で手をあわせ、身をひるがえしてその場を後にした。

が出ていったのと同時にドンっと張飛が壁を殴りつける。

趙雲は膝をついた姿勢のまま床についていた手で拳をつくり握りしめた。

誰も、言葉を発すことができなかった。






その日からはもっぱら城外の見張りや物見、と

雑兵がするようなことをしていた。

執務もするが、劉備とは顔を合わすことはなかった。

顔の腫れはまだひかず、整った顔が台無しなのだが本人は

気にする風でもなく隠そうともしない。

―――噂で聞いているのであろう腫れの理由を問う者は誰一人いない。

それどころか、の近くには人すらいない。


…いや一人。あの長坂の時そばにいた護衛兵、

ただ一人だけがの傍に居た――――。












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  始め、夢主が麋夫人の首を斬り落とすという
  とんでもない設定でした…
  こりゃあいかんと思って変えまして;
  …どっちにしろ夢主ちゃんの評判が地におちましたー。

  さて次は馬超登場です。
  3設定になってますので。。

   2005/9/10