「よう、死神」 「…聞いたのですか」 憎しみの果てにあるもの [6] 今日は警備の番ではないらしい。 庭の木にもたれて鎌の手入れをしていたに、 馬超は誰も当人に向かって言えない彼女の異名で呼びかけた。 声のした方に視線だけを送り、呼びかけに答える。 そんな彼女の隣に座り、持ってきた酒をすすめた。 少し間をあけ、は差しだされた酒を口に運ぶ。 …月が、明るい。 「私と居るから他の方々は話しかけにくいのでしょう」 「それは関係ない。今日は張飛殿達に正面切って言われた。 信用ならない、同等に扱われるのが嫌だ、と」 馬超は特に怒っている風でもなく更に続けた。 口元には笑みすら浮かべている。 「認めて欲しければ自分より多くの敵を討ち取れとまで言われた」 「張飛殿らしい」 ぐいっと酒をあおる。馬超のペースも少し速めだ。 「……何か、理由があったんだろ?」 唐突に話を切り出した。 何の話かは言わなくともお互い分かっていた。 「理由……足手まといだった以外の理由などない」 「嘘だな。お前はそんな奴じゃないだろう」 「貴殿の勝手な憶測で私を造らないで頂きたい」 酒により少し朱のはしった顔が眉を寄せてこちらを睨む。 確かに、俺は何も知らない。 人の噂でしかという人物がどのような奴であるかを知らず、 今も自分のこうであってほしいという希望を押しつけただけかもしれん。 そこまで一息に言って、だが…と続けた。 は何も言わずに聞いている。 「だが、ここ数日関わっただけで、お前が殿をどれだけ慕っているか… どれだけ忠実であるのかはよく分かった」 酔い任せにまくし立てた言葉を切り、深く息をついた。 そして顔をにむき直す。 「俺も同じ気持ちだから…それだけは分かる」 「………」 は何も言わなかった。 何も言わず月を眺めている。 馬超は力を抜き、木に身を任せてゆっくりと瞼を閉じた。 整った顔立ちをした二者が肩を並べて座っている。 一人は月を愛で、一人は夜の静けさに耳を傾けている。 無言だったが、それは嫌な沈黙ではなくて。 その沈黙を破ったのは、意外にもだった。 「なぜ…劉備殿は蜀の地を出て行けと……命を絶てと仰らないのか……」 それは独り言に近い嘆きであった。 「仰ればこの命など簡単に捨てるものを…」 「………」 「………」 「……………」 「……馬超殿?」 が返事のない隣を見やると、馬超は静かに眠っていた。 少し眉を寄せるが、今の嘆きを聞かれなくてほっとする。 ……少し悪酔いしたようだ。感情を…抑えきれなくなっている。 はすっと立ち上がり、この場を去ろうとしたが、隣の男に目をやった。 このまま置いてゆくのも気が引けて、馬超の腕をとり、自分の肩に回した。 身長差が20p近くあるので、半ば引きずるように運んでゆく。 相手は男で、しかも寝ているのだ。とにかく重い。 は小さく舌打ちをした。 「……殿?」 前方から不意に名前を呼ばれた。 丁度、雲が月を隠したので薄暗く、はっきりと顔が見えない。 声で判断した相手の名を自信なさ気に答えてみた。 「趙雲殿……?」 目が慣れてくるのと同時に月が再び顔を出したので 相手の顔が見えた。 目の前の人物も何かを運んでいる。……張飛だ。 どうやらこの二人も酒を呑んでいたのだろう。 張飛の顔が赤く、酔いつぶれている。 がしたように、趙雲もまたが引きずっているものを見た。 「馬超殿」 「ご安心を。殺してはいませんので」 「私は別にっ……!」 「顔に、書いてありますよ」 ふっと微笑した。 その笑みは段々と艶を含んでゆき 「現に、殺せと言われるのならば殺せますよ」 「!?あなたって人は――――っ」 さっと顔色を変えた趙雲に馬超を押しつけ、「頼みます」と一言話したかと思うと さっさとその場を離れた。 「ちょっ……」 暗闇に残された趙雲はしばらくが去っていった方を見つめていた。 「あなたの考えている事が分からない……」 「………ああ」 たった今任された人物から相づちの声が聞こえて、肩が反射的に上がる。 趙雲は驚いたように馬超の方を振り向いた。 「ばっ……ちょう殿、起きていたのですか?」 「返答しにくい事を聞かれてな……逃げた」 趙雲に預けていた身体に力を入れて自分で立つ。 二人分の重さから解放された趙雲はほっと息をつく。 左側の重さは相変わらずだが。 「お前…本当に見たのか?が奥方様を―――」 「〜〜彼女が鎌を振るったのもこの目で見ました。周りにも敵兵の首が―――」 敵兵の…首が……と繰り返した趙雲はゆっくりと 視線を反らせながら眉を寄せた。 その場面を思い出したからではない。 それは、何か疑問を持った仕草だった。 敵兵ばかりの首。 綺麗な井戸水に浮かんだ奥方様の着物。 趙雲は馬超の顔を見た。 馬超は軽く息をついた。 は奥方様の首を刎ねたわけではない。 かといって、彼女が殺していないという証拠もない。 「お前も殿も、他の将達も…分かろうと努力すべきじゃないのか?」 「……そう、ですね…」 風が、通り抜けた。 ◇ ◇ ◇ 馬超の活躍もめまぐるしく、張飛を始めとする武将達もその武を認めた。 天水の戦いでは、はその前の戦で負傷したのを理由に参戦できず その穴を埋めるがごとくの馬超の働きは一段と凄かったようだ。 その戦いにて、姜維が新たな仲間に加わった。 「殿、少し降りてきて頂けますか」 「軍師殿」 櫓の梯子を途中から飛び降り、軍師こと諸葛亮の前で供手する。 傍らに、見慣れぬ少年が立っているのに気づき、少し頭を下げると 向こうも胸の前で手を合わせ、頭を下げた。 「殿は先の戦には出らなかったのでまだ知らないでしょうから 紹介しておこうと思いまして。彼は姜維です」 姜維と呼ばれた青年は、頭を下げた先ほどのまま口を開いた。 「この度、蜀の軍門に降って参りました、姓を姜、名を維。字を伯約と申します」 丁寧に挨拶をしてきた青年に、も丁寧に返した。 「姓を、名をと申します」 再度手を合わせて頭を下げる。 同時に頭を上げたのか、目が合い、姜維は照れ笑いを浮かべていた。 ちらっと諸葛亮を窺うと、柔らかく微笑んで口を開いた。 「姜維には私の後を任せようと思っています。どうか、よろしくお願いします」 「私には何もしてあげられませんよ」 「いいえ、あなたから学ぶ事は多分にありましょう」 羽扇で口元を隠し、静かにそう言う諸葛亮。 その言葉には眉を寄せ、自嘲気味に笑う。 「私から何を学ばせるというのです」 生憎と私は何も持ち合わせてはおりません。 「殿との一件があったからですか?」 「………」 「殿も好きであなたにこのような事をさせているわけではありませんよ。 今までのように傍にいて欲しいのですが、憎しみがそれを拒むのです」 「気休めにもなりませんよ。私は殿に許して頂こうなどとは思っておりません」 ふっと苦々しく笑い、二人に背を向けて梯子に手をかける。 「私は……あなたを信じていますよ」 その言葉を背に受け、何も言わずに梯子をのぼった。 「丞相…」 「姜維。あの人の心を学びなさい。忠実で不器用な心を。何を思い、 何を考えているのか。 噂に惑わされず、あの人を見ておあげなさい」 「丞…相……?」 諸葛亮はがのぼっていった物見櫓を見上げ、目を細めた。 その視線を追って姜維もまた空を見上げた。 ◇ ◇ ◇ 「殿!…と、馬超殿も」 「姜維……」 手合わせの手を止め、取って付けたかのような言われ方に馬超は振り向いた。 「何か用なのか?見ての通り、手合わせ中だ」 「私も殿と手合わせしてみたいのです。馬超殿、独り占めは感心しませんよ」 「何が独り占めだ」 皆、遠巻きに見ているだけではないか。 「軍師殿の傍に居なくても良いのですか」 「許可は頂いています!勉強になりますから」 「……馬鹿な事を仰る」 武器を肩に乗せ、二人に背を向ける。 おい…と呼び止める馬超の声を聞き流し、立ち去ろうとするが 姜維が腕を掴んで放さない。 じろっと睨みつけるが、臆するどころか笑ってきた。 「手合わせ、お願い致します」 「………」 短く息をつき、大鎌を構えた。 途中で手合わせを中断された馬超は、面白くなさそうに攻撃の届かない所まで下がる。 二人、一礼をして手合わせを始めたのだった。 劉備は、その様子を始終見ていた。 馬超と鍛錬している時からずっと立ちつくして見入っているのだ。 いきいきとしたの表情に。 それは決してすぐに分かるものではなく、本当に微々たる変化だ。 本人ですら気付いていないのだろう。 そう、馬超が来てからだ。表情が少し変わってきたのは。 それに気付いた時、少なからず衝撃を受けたのを覚えている。 なぜ……… 「私たちの方がより長く共に居るというのに…なぜ分かり合えぬのだ…」 ぼそっと小さく呟かれた想い。 馬超や姜維にはできるのに。 劉備は月の綺麗な夜を思い出していた。 庭の木で酒を酌み交わしている二人。 時々思い出したかのようにが月を見上げる。 一瞬目が合ったのは気のせいだったろうか。 私は恐らく、馬超のようにと酒を酌み交わす事はないであろう。 なぜ、分かり合えぬのか。 否……分かろうとしていないだけなのだ。 私が、を。 NEXT→ ○・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 久しぶりのUPになります; 読んで下さっている方々、申し訳ありません; ……自分の屋敷で飲めよって感じですが やはりツッコミは無しの方向で… と、毎回言わずにはいられない小心者。。 殿…出番少ない…; 次、ちゃんと出てきますので! ++ 2005/12/11 美空 ++ |