「私にお任せ下さい。斬り込んで敵将を討ち取ってきてみせましょう」










この場に居るはずのない声が扉口から聞こえた。
膠着状態の戦の中、劉備と諸葛亮を筆頭に軍議を開いていた所へ
いつもなら絶対に割ってはいることなどしなかった
断りもなく入ってきたかと思うと特攻を申し出てきたのだ。
彼女は更に続ける。






「女の私一人で向かえばきっと敵方も油断しましょう」







私は敵将を仕留めますので、そこを他の部隊で一人も逃がさず叩いて下さい。
心持ち頭を下げてそう言い放ったの目は床を見つめている。
今この時、私の心を支配していたのは、いまだにずるずると持ち続けている憎しみなどではなく
彼女の身の危険を案じている自分だった。

























 憎しみの果てにあるもの [ 7 ]


























「一人で、などと簡単に申しますが、それは危険すぎます」
「その通りですよ殿!」








軍師として、そんな無茶なことをさせるわけにはいきません。


厳しい口調で諫める諸葛亮と、それに同意する姜維。
こんな子供でも分かる危険性が分からないではないのに……









「恐れながら、駒というものは使い捨てるためにある物です」








淡々とした声が更に続く。
諸葛亮が更に眉をひそめ、姜維は自分を大切にしない彼女に言葉を失った。









「私という駒をお使い下さい。勝利に貢献する石となりましょう」








はそこで初めて顔を上げた。
その瞳は真っ直ぐに劉備を見すえている。
そう、あの長坂の折に自分が殺めたと申し出た時のように。
劉備は思わず視線を反らし、緩く首を振って否定の言葉を向けた。








「……ならぬ。危険すぎる。せめて趙雲や馬超と共に―――」
「それでは油断させられません。私なら、平気ですので」
「しかしっ」
「劉備殿」







まだ止めようとする劉備の言葉を遮るように名前を呼ぶ。
久方ぶりに彼女から届いた自分の名前は、出会った頃に呼んでくれていたものとは
違って聞こえ、それは自分が変わったからなのか、
が変わったからなのかは分からなかった。









「……ではに任せよう」
「ありがとうございます」









そのまま一礼をして立ち去ろうとするを劉備は自然と呼び止めていた。
呼び止めてどうしようというのだ…私はこんなにも彼女を拒絶しているのに。
なぜ呼び止めたのだろう……
は呼ばれた声に立ち止まり、振り返ることはしなかった。
ただその場に立ちつくして劉備の次の言葉を待っている。
呼び止めたことに深い意味はなかった。続く言葉など―――――






















「私の……目の届かぬ所で死ぬのは許さぬ」




















呼び止めた後に続く言葉などないはずだった。
だが、何でもないと言うよりも先に想いが言葉を造って発していたのだ。
その言葉を受けたの肩が一瞬揺れたように見えたのも束の間、すぐに彼女は振り返って……


笑った。


艶を含んだ笑みでも、自嘲気味な笑みでもなく花のように微笑んだのだ。
初めて見せたその微笑みは、劉備をはじめとする武将達の警戒心に小さなヒビを入れた。
…そう、初めて。
いや、最初で最後となる本当のを見た一瞬だった――――。




































「本当に大丈夫なのですか」
「 ええ 」









武器を片手に馬にまたがるに姜維が心配そうに声をかけた。
そんな姜維を馬上から見下ろし、軽く返事を返したはちらっと辺りを見渡し
再び視線を姜維に戻した。








「後は首尾よくお願いします」
「それは、お任せ下さい」







すっと供手するのを見届け、勢いよく馬を走らせた。
恐怖はない。もはや命も惜しくない。
そんな思いがを今回の行動に駆り立てたのだ。
ここ最近、なぜ劉備殿が自分を蜀に……この世にとどめておくのかを考えていた。
答えは、ひとつしかない。自分の武力だ。
五虎将に張り合うだけの力はあると自負している。
その武力を……捨てられないのだろう。
……自意識過剰なのかもしれない。だが、実際自分にはそれしかなかった。
……それしか求められていないのだ。
ならば、私はその武力を持ってこの局面をなんとかしてみせよう。
たとえ、この命落とそうとも。
そう……思ったのだが。

は劉備の言葉を思い出していた。



  『目の届かぬ所で死ぬのは許さぬ』




劉備殿は………こんな自分に死ぬなと言ってくださったのだ。

















「敵だっ!敵の奇襲だ!!」
「伝令!早く将軍に知ら―――――」











肉と骨を断つ感覚が手から神経を伝わってくる。
いつもどおり首元を狙って切断していくは鎌を大きく振り回した。
それは正確に首を刎ね―――誰もが一瞬の痛みで逝けた。










「痛い思いをしたくなければ動かぬ事です」
「ぬかせ!!」








兵が勢いよく斬りかかってくる。
当然ながらまずは馬を狙って落馬させようとしてくるが、それをかわして相手を斬りつけた。
だがあっという間に囲まれてしまい、馬の逃げ道が無くなってしまった。
は「ちっ」と舌打ちして自分から馬を飛び降り、そこを狙ってきた攻撃を受け流したが
後ろからも次々と浴びせられる攻撃には傷を作っていく。









「女、俺が相手だ」
「あなたが大将ですか……その首級、上げさせて頂きます」
「ふん、女ごときに負けはせぬ」
「…ふふ、その女にどれだけの部下を失った?」
「っ―――!!」









あざけ笑ってくる敵将に笑いを返した。
兵がむかって来れば来るほど死人も増える一方だ。
もちろん、も傷を負ってはいくが、致命傷などひとつもなく次の標的に武器を構え直した。
事実とその事実を作り上げたこの武器…いや、に、敵将が血の気を引かせ
そんな彼を愚かなものでも見るようには目を細めた。
だが、そこで終わらなかった彼はやはり戦人で。
顔色がさっと元に戻ったかと思うと素早く剣技を繰り出してきたのだ。
つばぜりの合間に相手が問いを投げかけてくる。










「貴様は……何者だっ」
「死神、とでも申しておきましょうか」









互いに弾かれてつばぜりが解ける。
その後も刃と刃のぶつかり合う音が響き渡り、それは何合、何十合と続いた。
勝てる、とは思った。
強いが負ける程ではないと、そう判断した。
だがその時、将の後ろから兵が襲いかかってきたのだ。
援軍かっ……
は標的を一度、一般兵に変えて斬り倒しにかかる。
兵を相手にするのは容易い。
だが、その兵士のお陰で大将との間に距離が出来てしまった。
私とて……体力に限界はある。
自分で切り出した事で、劉備殿の命に背くのか…?
馬鹿だと、は自分を笑った。
これでは自信の武を過信し、死んでいく愚かな者と同じではないか。
……まったくもってその通りで………私は愚かだ。

















殿!!」
「姜維殿……」
「下がっていてください!あとは我々に!」
「…そういうわけにもいきません」












姜維たちの援軍(そういえば、そういう策だった)に……体が軽くなるのが分かった。
不利だった状況が一転し、攻勢に出ようとしたのだが敵将が撤退の声を発し
首級を上げることは叶わなかった。
残されたのはに命を絶たれた者たちの屍の山で。
は鎌の柄を地面に立て、ひとつ息を吐き出した。
さすがに私も―――――















「乗って下さい、殿」
「?私は平気です。馬もそこに――――」
「あなたは…武器を杖がわりにしている状態でよく言いますね。さあ」










は、呆れながらも有無を言わさない趙雲の言葉に眉を寄せたが、
何も言わずに差しだされた手を取り趙雲の後ろへ背中合わせで乗った。







「……どれだけ共に戦ったと思うのです。疲労しているのは一目で分かります」
「…………」









は黙ったまま趙雲の背中に体をあずけた。
趙雲は背中にかかる重みに首を後ろに巡らす。








「落ちますよ」
「構いません」
「………」









趙雲はしばらくを見ていたが諦めたようにため息をついて馬をゆっくりと走らせ始める。
落ちないように、落とさないように。






馬の速度がどこか優しく、合わせた背中が温かかった。
そのぬくもりのせいだろうか…急に殿の……劉備殿の笑った顔が見たくなり
は自分の記憶を掘り起こしていた。
だが、何度思い出そうと試みても脳裏に浮かんでくるのは怒鳴った時の顔だけだった。
愛する人を殺した者への憎悪。
はもう一度自分を愚かだとなじった。
この道を選んだのは私だ。
糜夫人を殺め、今日までのうのうと生きてきた私への罰。













私はきっとこの先、劉備殿の笑顔を思い出すことも、拝する事もできないだろう。
それが、彼女を見殺しにした―――――私への罰。

































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   わー、趙雲のいいトコ取り(笑)
   ココの話、大幅修正しました。

   さて、次回はようやく劉備と……
   って感じですかね。。

   ++ 2006/3/27 美空 ++